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『たまこまーけっと』を振り返る 第2.5話 ~ 作品の視点の特異さについて

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 3月18日(水)に『たまこまーけっと』BD-BOXが発売。

 Blu-ray & DVD:PRODUCT | 『たまこラブストーリー』公式サイト

 そして本日、3月15日(日)深夜からスタートするWOWOW京アニ特番。

 設立30周年!“京都アニメーション”春の祭典|アニメ|WOWOW

 下請け時代を含めると、30周年になるんですね。豪華ラインナップです。

 

 このブログ的に『たまこまーけっと』『たまこラブストーリー』大プッシュなのはもちろんですけど、原作者・米澤穂信が『満願』(素晴らしかった...)で各賞を荒らしまくったあとの『氷菓』放映もタイムリー。といっても、ウチはWOWOWみられないんですけどね。BD持ってるからいいもん!

 スマホでは伝わってこない京アニの描写力の高さ(ホントに画面の隅々に至るまで神経が張りめぐらされてる)を、良い画質でまとめて堪能するチャンス。アニメは「あらすじ」ではないですもんね。みられる環境がある方は是非!

 

                        ◯

 

 前に第2話の振り返り記事を書いたときに、『たまこまーけっと』の独特な語り口の特徴をなんとか言い表そうと、拙いなりに文章をひねくり回してみたんですけど、「図で描いておけば、もうちょっとスッキリ表現できたのでは?」という残尿感があったので、今回は補足をかねて簡易更新です。

 

◯『たまこまーけっと』の視点の特異さについて

 これまでにも書いてきたように、『たまこまーけっと』って、主人公・たまこの心情がいまいち掴みにくい作品でした。むしろ、サブキャラのみどりやもち蔵のほうが、心情描写がきちんとされている*1

 たまこの心情が掴みにくい原因としては、

・『たまこまーけっと』のストーリーが二層構造になっていること
・そのストーリーを捉えるカメラの位置が特異であること

 の2点があるんですけど、この箇条書きだけだとなんのこっちゃです。そこで第2話を例にとって、『たまこまーけっと』の基本構造を思いきり単純化して図で表すと、こんな感じになります。

 

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 『たまこまーけっと』の下層には、「いまある “日常” を維持しようと頑張るたまこの物語」が、シリーズを通して通奏低音のように流れています。図でいうと、いちばん下の「日常の維持」の物語です。

 この物語はデラが商店街にやってくるよりもはるか以前、ひなこが亡くなったときからスタートしています。第2話でいえば、たまこが「日常の基盤=商店街」のPRビデオ作りに奮闘するのが、この「日常の維持」の物語の ”あらわれ” です。

 普通だったら、この「頑張っているたまこ」の姿に作品の焦点をあわせます。たまこがどうして、どんな目標に向かって頑張っているのか?を視聴者に説明する。

 でも『たまこまーけっと』は、「頑張っているたまこ」に「あえて」フォーカスを合わせません。図の「カメラ」の位置をみてもらいたいのですが、このカメラは、作品が物語を切り取る「視点」を表しています。

 カメラが映し出すのは、上層で展開される「日常」、第2話でいえば、みどりをメインとした、商店街の面々の「恋愛」の物語です。だから、みどりの心情にかんしては、非常に細やかな描写がなされています。

 でも、その下層で「日常」を維持しようと頑張る「たまこの物語」は、カメラの位置からは映りにくい。たまこがどういう気持ちで、何にむかって頑張っているのかがわかりにくいわけです。

・上層で展開される「日常」=みどりが主人公
・下層で展開される「日常の維持」=たまこが主人公

 『たまこまーけっと』という作品には、「なにげない幸福な "日常" 」と、「その "日常" は自明のものではなくて、努力によって維持されている」というふたつの側面が構造的に組み込まれていて、でもカメラが主に切り取るのは「なにげない "日常" 」のほう。

 ちょっとメタな言い方をすれば、上層で展開されている「日常系アニメ型物語」の下で、「日常系アニメを成立させようと頑張る物語」が同時進行で走っている。

 

                      ◯

 

 このままだと、なんだかたまこがぼっちで寂しいじゃないか、という感じもするんですが(そして事実『たまこまーけっと』には、ところどころ「孤独」もその影を落としてはいるのですが)、第2話には「みんな、誰かを、愛してる」というキーワードが用意されています。

 みどりや、豆腐屋や、もち蔵にそれぞれ「愛する誰か」がいるように、たまこにも「愛する誰か」がいて、それは母・ひなこです。たまこが「日常の維持」にむかった動機をつきつめると、ひなこへの愛に帰結する。

 分離しているように見えた「たまこの物語」と「みどり(たち)の物語」が、「みんな、誰かを、愛してる」というキーワードによって合流しているんですね。このシナリオの構築美。吉田玲子すごい。

 

                      ◯

 

 ところで、次回取り上げる予定の第3話では、この重層構造はいったん奥にひっこんでいます。「史織というひとりの少女が、たまこと仲良くなるまで」の物語を単線的(リニア)に描いていて、それだけにストレートに史織の心情に共感し、応援できるような物語構造になっています。

 ただ、『たまこまーけっと』はシリーズを通して上記のような構造を基本的に備えていることを頭の片隅にとどめながら観ていくと、よりこの作品を楽しめるんじゃないかな、という補足記事でした。

 

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*1:なぜ、主人公であるたまこの心情描写が「あえて」抑制されているのか?について→『 序論「結局、デラってなんだったの?」』 『たまこまーけっと』と『風立ちぬ』 3.11以降の主人公たち