ここ数年、バレンタイン時期になると『氷菓』の『手作りチョコレート事件』とこの話はかならず観返してます(今年もみました!アニメの中のバレンタインって...いいよね)。
本文中は『たまこまーけっと』全話、『たまこラブストーリー』のネタバレがありますのでご注意ください。
◯第2話『恋の花咲くバレンタイン』
脚本:吉田玲子
絵コンテ:山田尚子
演出:三好一郎
作画監督:西屋太志
・第2話の構造について
第2話のストーリー上の「軸」になっているのは、「バレンタイン」というイベントにたいする、たまことみどり(他、商店街の面々)の、視線の「ズレ」です。
『 オ−プニングについて』で、『たまこまーけっと』では「たまこと商店街の人々の視線には、基本的に “ズレ” がある」ということを書きました。
つまり、たまこはいつも「日常の基盤(=商店街)の維持」に目がいっているのにたいして、他の人々は「基盤(=商店街)の上で展開される日常」を(ある程度無自覚に、というか普通に)生きている。
この視線の「ズレ」が明示されるのが、第2話です。みどりをはじめ、みどりの友達、もち蔵、清水屋のお兄さんといった若者たちの視線が「 ”日常” の上で展開される ”恋愛” 」に向いているのにたいして、たまこの視線は「 ”恋愛” を可能にする ”日常” の基盤の維持」のほうを向いているわけです。
極端に表現すれば、「たまこ」と「それ以外のキャラクター」は、この第2話で「日常の維持」と「恋愛」という、異なったテーマの物語をそれぞれ生きている、ということになります。その二種類の物語が、重なり合って同時進行している、という構造。
そして、心情描写がなされるのは「恋愛」パートを担当するみどりのほうで、作品の主役であるはずのたまこに関しては、外面描写に徹した演出が貫かれています。たまこが「日常の維持」を頑張っている、その必死さや切実さは、初見の視聴者にとってわかりやすい形では説明されない。
このあたりが、放送当時の「たまこが何考えてるのかよくわからん!」という評価につながった一因かと思うのですが(私もそう感じていました)、これが意図的な演出だったというのは『 序論』や『 第1話 』の感想に書いた通りです。作品を「たまこという、健気なひとりの少女の物語」というリニアな1本の線に収束させないための操作ですね。
そして、最終回を通過した視点からこの話を振り返ると、たまこの頑張りが切実さをともなって迫ってくる。
では、ここからはたまこを主人公とした「日常の維持」パートと、みどりを主人公とした「恋愛」パートに分けて、第2話を振り返っていきます。
◯たまこパート=日常の維持
まずAパート冒頭、保守的な豆大との、バレンタインイベントをめぐる対立をとおして「商店街=日常」の維持に必死なたまこの姿が描かれます。バレンタイン企画としてもちの新メニューを考案したたまこに、豆大が「そんな企画はやらなくていい」とつっぱねるシーン。
たまこ「もっとたくさんの人に、おもち食べてもらいたいんだよ!」
豆大 「もちはもちでいいんだ」
たまこ「このままじゃ世の中からね、取り残されちゃうから」
必死なたまこ。初見のときは「家業のために頑張る良い子なんだなー」ぐらいで流してしまったシーンなんですけど、あらためて見返すと「このままじゃ世の中からね、取り残されちゃうから」という台詞からは、「日常の基盤がなくなっちゃったらどうしよう!」という彼女の焦燥感をひしひしと感じます。
商店街のPRのためのコマーシャル撮りにしたって、たまこは基本的には人の注目を集めるのは苦手な娘なんですよね。緊張でガチガチになって、上手くしゃべれなくなってしまう。そのことは銭湯で開かれた集会シーンで「前フリ」として情報提示されていて(あのシーン、単なるギャグではないんです)、でも「日常の基盤=商店街」を守るために、身体をはって必死で頑張る。
豆大はそんな彼女の努力をみて、最終的にちゃんと受けとめてあげる。さんざん「カンタ」呼ばわりされてたシーンですね。こんなんやられたら普通に萌えるわ!
ともすれば「恋愛」に夢中な周囲の友人たちとは違う視点をもったたまこが孤独にみえてしまいそうな第2話ですが、こうして父親が(OPアニメで描かれるように)彼女をきちんと受け止めてあげる姿が描かれているのが良いですね。
そして、もちろん周囲の人達も、彼女に協力してくれる。たまこと皆の視線はズレているかもしれないけど、でもゼロ年代の物語的な「ひとりの少女が世界を維持するコストを背負う」という構造ではなくて、共同体の成員によるコストの分散が描かれています(『彗星のガルガンティア』的構造)。
◯みどりパート=恋愛
いっぽう、みどりをはじめとした若者たちは「日常の上で展開される物語」=恋愛一色です。まずは「フラれた~」という友達をみどりが「おっしゃ、ケーキバイキングいこう!」と慰めるシーン。同性からも頼られ、好かれるみどり。ここから、第2話は恋愛方面に雰囲気が染まっていきます。
(余談ですがこの「ケーキバイキングいこう!」、『氷菓』の『手作りチョコレート事件』の摩耶花のセリフを意識したものなんじゃないかと思ったり。)
そして、いよいよみどりのたまこへの想いが表面に出てきます。第1話でも、たまこにさり気なくタッチしていたみどりさんでしたが…(ゴチです)。
こんどはたまこに髪を触られて「なによ!」とドキドキするみどり。
このシーン、観ているこちらも息がとまるほど素晴らしい。ありがとうみどり。ありがとう…。
この第2話から、自分のたまこへの気持ちを「恋」に近い?ものとして認識しはじめたっぽいみどり*1。そしておもちゃ屋のおじいちゃんの「Everybody Loves Somebody」=「みんな、誰かを、愛してる」という台詞をきいてからの、たまこを見つめるこの視線(ゴチです)。
そんな自分の気持ちに戸惑って、ひとり帰ろうとするみどりを、デラは「星とピエロ」に誘います。デラさん、ほんと周囲をよくみてますね。みどりが店に入っていくカットは、第1話のたまこのリフレイン。
ここが演出として重ねられた理由としては、『たまこまーけっと』で描かれる二種類の物語、つまり「日常の基盤の維持」パートの主人公がたまこで、「日常のうえで展開される物語」パートの主人公がみどり、ということなのかな?と想像してみました。
そして、いつもながら渋い「星とピエロ」主人。
「誰にも、名前のつけられない気持ちがある。たぶん、ある。」
第1話のたまこのときと同様、主人もデラも、みどりからわかりやすい「告白」を引き出そうとはしません。ただ一緒にいてあげる。この距離感がいい。
そして、こういう時間をもてたことで、みどりはちょっと元気になります。この暮れていく町のシーンの情感も絶品。いや、第2話いいなあ…。
◯視線のズレ
ふたつのパートをざっと振り返ったところで、ここからは、両者の「齟齬」=たまこと、その他のキャラクターの「視線のズレ」が積み重ねて描かれていくシーンを追っていきます。まずは、たまことみどり。
「たまこは?誰かに(チョコを)あげる?」とドキドキしながら問うみどりにたいして、たまこは「んー?」。この緊張感のなさ。いや、ポーズはすっごいかわいいけど。
そして放課後、商店街での、清水屋のお兄さんとたまこのやりとり。
たまこ「(商店街的に)バレンタイン何か考えてる?」
清水屋「うさ湯のさゆりさんからチョコをもらえたら…」
たまこ「(商店街を)盛り上げていかないとな!」
たまこさん、ほんと「日常の維持」しか頭にありません。
そしてもち蔵。なんともうらやましい、幼馴染みとの糸デンワでのやりとりですが、この「キャッチ」が成功するのは『たまこラブストーリー』。この時点ではまだ、お互いの視線がズレているので仕方ないですね。
たまこ「盛り上げたいんだよ!私たちの…」
もち蔵「私たちの!?」
もち蔵の「私たち」は「たまこ&もち蔵」、つまり「日常のうえで展開される物語(恋愛)」を念頭においたものであるのにたいして、たまこの「私たち」は商店街=「日常の基盤」。
そして、撮り上がった商店街のPRビデオの鑑賞会。スクリーンに映し出される「商店街」に釘付けのたまこと、そんなたまこを見つめるみどり。
ここで、デラ同様に周囲をよくみているかんなちゃん(”正確に計る” ことに異様なこだわりのある娘です)が、みどりとたまこの視線の「ズレ」を指摘します。
かんな「たまちゃんは商店街に夢中だね」
みどり「だね」
かんな「誰が誰を好きになってもいいんだよ」
みどり「…だね」
こ、これは「かんな → みどり → たまこ」の切ない恋の一方通行でFAなのか!?
という百合妄想はおいといて、ここでかんなは、デラがそうしたように、余計なことは言わずにただ傍にいてあげる。たまこが豆大に受けとめてもらえたように、みどりも、色々な人たちにさり気なく支えられている第2話です。
◯Everybody Loves Somebody
こんな感じで、たまことその他のキャラたちが「違う種類の物語」を生きているようにもみえる第2話...なんですけど、そこで終わっていないないのが、この話の良いところ。
さきほども触れた、みどりのおじいちゃんがカッコよくきめる「Everybody Loves Somebody」という台詞を、みどりが「みんな、誰かを、愛してる」と訳して、ハッとするシーン。
これはもちろん、かんなの「誰が誰を好きになってもいいんだよ」というセリフと対になっているんですけど、みどり他「恋愛パート」を担当していたキャラクターたちの「愛する誰か」は明確だけど、じゃあたまこの愛の対象は誰かというと、もちろん母・ひなこです。
たまこが「日常の維持」に向かうきっかけをつきつめると、ひなこへの「愛」に行き着く、ということは、最終回まで観た視点で振り返ると、よりはっきりとしてくる部分。「みんな、誰かを、愛してる」というキー台詞によって、たまことみどりたちの間にあった「ズレ」が解消されて、両者の「物語」が見事に合流していたんですね。
(このようなストーリー構造は、やはり吉田玲子が脚本を担当した第9話『歌っちゃうんだ、恋の歌』でリフレインされます。)
◯not only A but also B
ここまでは、たまこと他キャラの視線の「ズレ」を軸に第2話をみてきましたが、こんどは「日常の維持」と並んで作品全体のテーマである「多様性の肯定」が、この話ではどんなふうに表現されていたか、についてちょっとだけ。
みどりが「not only A but also B~」を「Aだけでなく、Bもまた」と翻訳するシーンは、「うさ湯」でのみどりのおじいちゃんと、肉屋のおばちゃんの会話と意味的にダブっています。
「ちゃんときいた?おニューのほう。オールドなほうはけっこうウケがいいんだけど。」
「だろうねぇ。私はどっちも好きだけど。」
何について話しているのかは不明なんですけど、ここで重要なのは「おニューのほうだけでなく、オールドのほうもまた」という部分。多様な価値を幅広く受け入れる、商店街の人々のキャパシティが表現されたシーンでした。うしろに、おそらくトランスジェンダーである花屋さんが映りこんでいるのもいいですね。
かんなの「誰が誰を好きになってもいいんだよ」も、「みどりが同性のたまこを好きになったっていいんだよ、私は肯定するよ」ということを伝えた台詞でした。その台詞を、みどりにくっつきながら、つまりみどりが同性愛的な気持ちをたまこに抱いていても*2自分は変わらず友達だよ、ということを態度であらわしながら、伝える。かんなちゃん、良い子です。
◯あんこ姫
いっぽう、あまり明確には説明されない「たまこの気持ち」ですけど、映像ではきちんと「彼女が何を大切にしているのか」についての描写が積み重ねられていきます。
丁寧に描かれる、学校帰りの買い物シーン(たまこが守ろうとしている、なにげない「日常」の時間)。ひなこにお供えする花と、「日常の積み重ね」の象徴であるポイントカードが、わざわざアップで映し出されます。
もうひとつ、アバンで寝起きのたまこがあんこの寝顔に「あんこ姫」と呼びかけるシーン。
「あんこ姫」は、第4話(感想 )で、存命時のひなこが幼いあんこを呼んだ呼び方。このときたまこも傍にいて、この呼び方をきいていたんですね。
『たまこまーけっと』では、たまことひなこの直接的なコミュニケーションは「あえて」描かれないわけですが、それでもこういった細かいシーンの積み重ねで、たまこがどれだけひなこを慕っていたかはちゃんと表現されています。
ひなこの回想シーンを先にもってくれば、たまこの「あんこ姫」の意味もわかりやすくなるんですけど、そこを順番どおりにやらない。これも第1話の感想で書いたような、『たまこまーけっと』でたびたび行われる「文脈の後だし」のひとつです。
◯「外部」との交通
商店街のなかでも「星とピエロ」と並んで重要な「場」である「うさ湯」。
「星とピエロ」のほうは、キャラクターたちが「自分と向き合う」わりと内省的な場として描かれるのにたいして、「うさ湯」は商店街共同体のアゴラ的な中心です。
ここのひとり娘であるさゆり。登場回数こそ少ないもののけっこう重要キャラで、第7話で結婚して商店街の「外」に出て行くことで、この商店街が閉塞していない、「外部」との交通が確保された「場」であることを表現する役割を担っています。
さゆりさん、この第2話時点で、すでに人々の輪からちょっと離れています。のちの結婚 → 引っ越しを暗示したポジション。
ということは、このころにはすでに男が!?清水屋さん…。
画面奥のうどん屋さんは清水屋をひそかに応援していたのか、はたまた彼もさゆりを好きだったのか。さゆりが嫁にいったとき、銭湯の親父にお酌をして慰めていたところをみると、前者の可能性が高いですね。
◯むすび
という感じで、重層的なストーリー構造をもった第2話でした。『たまこまーけっと』の語り口の特色が良く出ていて、とくに好きなエピソードのひとつです。
超余談ですけど、第1話ではたまこのことを「たまちゃん」と呼んでいたあんこ。この第2話から「おねえちゃん」になるんですよね。これは単純なミス?うん、いずれにせよ「おねえちゃん」のほうが萌えるな!
ところで「Everybody Loves Somebody」っていうフレーズ、なんかきいたことあるなー?と思ってたんですけど、この曲を意識したんでしょうか。フランク・シナトラとかいろいろな人が歌っているみたいですが、『たまこまーけっと』の雰囲気にいちばんピッタリくるのはこのバージョンかなーと思います。
DEAN MARTIN Everybody Loves Somebody with ...