U2:UV Achtung Baby Live At Sphere は吉と出るか凶と出るか
〇U2がベガスでショー?
U2の大ヒットアルバム『Achtung Baby』(1991年)のリリース30周年を記念したレジデンシー・ライヴが、9月27日からラスベガスのホール「Sphere」で開催されるとのこと。
レジデンシー・ライヴ……「ベガスでの長期滞在型ショー」ときくと、私のような感覚の古い人間は、晩年のエルヴィス・プレスリーがやっていたような感じの催しを連想しがちだ。
すでに第一線を退いたミュージシャンが、中高年をターゲットにおこなう集金ディナーショー。
だが、近年はすっかり事情が変わっているらしい。
くわえて、この公演がこけら落としとなる会場「Sphere」も、最先端の視覚・音響技術がこれでもかと投入された、ものすごいハイテク・ホールみたいである。
建造費3,000億円超えですって。アメリカ先輩のこういう過剰なところ、好きよ♡
過去のライヴでも「ありえねえ…」という他ない、とんでもない光景を幾度も現出させてきたモンスターバンド・U2なだけに、このハイテク会場を駆使したステージングにも期待が高まるというものだ。
ベガス行けないけどね!
(こんなセットを携えてツアーをやるバカはU2ぐらいでしょう↓)
……というような斬新なステージへの期待もさることながら、個人的に今回もっとも面白いと思うポイント。
それは、メンバー全員還暦超えのベテラン・バンドが、あの『Achtung Baby』の再演ライヴをわざわざ・よりによってラスベガスでやる、という点だ。
〇『Achtung Baby/Zoo TV Tour』とラスベガスのつながり
アルバム『Achtung Baby』のリリース。
そして、それを受けて1992年から93年にかけて敢行されたワールド・ツアー『Zoo TV Tour』。
このツアーは、90年代初頭の世界情勢をステージングに反映させた、(誤解をおそれずにいえば)非常に「政治的」なニュアンスの濃いものだった。
煌々とネオンサインが輝き、無数のテレビモニターがごちゃごちゃと配置された、巨大で威圧感を感じさせるステージ・セット。
その上方からは、旧式なデザインの自動車が、派手なペイントを塗りたくられた状態で吊り下げられている。
これは、当時消滅したばかりの共産主義国家……東ドイツで普及していた大衆車「トラバント」。
その、かつての共産圏の経済・産業を象徴する車が、西側のメガ・ロック・バンドによる大金のかかったスタジアム・ショウを盛りあげるためのオブジェとして飾られているのだ。
つまり、『Zoo TV』でU2がステージ上に再現しようとしたのは、世界レベルで膨張を続ける資本主義のカオスそのものだ。
巨大なステージ、ギラギラとした過剰な照明、無数のモニターから高速放射される断片的な情報の洪水、バンドが叩き出すロック・ミュージックの轟音。
そうしたカオス=欧米型の資本主義が、共産主義を吸収し、やがては世界全体を飲みこんでいく。
当時のそうした状況(『歴史の終わり』的状況)を圧縮して観客の前に提示してみせたのが『Zoo TV』のステージだった。
ライブ冒頭、ボーカリストのボノは、その資本主義的カオス真っ只中のステージに「抵抗しながらも無理やり送り込まれる」パントマイムを演じながら登場する。
ここで抵抗を試みているボノは、かつてのU2……資本主義辺境の地・アイルランド出身のいなたい熱血ロック・バンドのフロントマンであり、
そして同時に、世界を飲み込まんとする巨大なシステム、資本主義にたいするオルタナティヴ(だった)共産主義を象徴しているのかもしれない。
やがてボノは、そのカオスの渦中でロック・スターの役割を演じることを引き受ける。
ステージを通じて彼のパフォーマンスはどんどん露悪的にオーバーに、そして外見はゴージャスかつ醜悪なものへと変貌していく。
ここで、ものすごく粗暴に(さまざまな解釈可能性を切り捨てることになるのを承知で)このライヴ・ショウの物語化を試みるとすれば、
「純朴なロック・バンドが、資本主義に取り込まれて奇形化していく」
あるいは、
「資本主義がオルタナティヴな体制を飲み込み、世界はフラット化する」
という、これが『Zoo TV』のログラインだ。
だから、のちの『Staring At The Sun』(アルバム『POP』収録)のPVのなかで、ボノがフィデル・カストロのコスプレめいた格好をしているのは、『Zoo TV』のコンセプトの引継ぎともとれる。
このPVには、アメリカ(資本主義)とキューバ(共産主義)のアイコンがちりばめられ、それらが緊張関係を演出しているのだ。
星条旗、月面着陸、葉巻、カストロ・キャップ、カウボーイ・ハット。
(PVが撮影されたマイアミが、キューバからの移民が多く、複雑な対立関係がせめぎあう「ホット」な土地である点も注目に値する。)
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閑話休題。
そのように資本主義が、いなたい熱血ロック・バンドを、あるいはオルタナティヴな体制としての共産主義を飲みこむ過程を一大エンターテインメントとして提示する『Zoo TV』。*1
ライヴの終盤、ボノは奇形化したロック・スター「マクフィスト」というキャラクターに扮し、ステージに上げた観客の女性を抱擁しながら『Love is Blindness』を歌う。
白塗りメイクに金ラメスーツと厚底ブーツ、という滑稽ないでたちで観客サービスを
するボノ。
その姿は、まるでラスベガスにおける晩年のエルヴィス・プレスリーのようだ。
肥満した身体を悪趣味なジャンプスーツに包み、女性客にキスをサービスしていたエルヴィス。
そして『Zoo TV』のクロージングでは、そのエルヴィス・プレスリーの『好きにならずにいられない』が演奏される。*2
汗で白塗りメイクが流れ落ちたボロボロの状態でなんとか曲を歌いきり、「サンキュー」もガッツポーズもなく、スポットライトの外側の暗闇へと消えていくボノ。
その姿はやはり、否が応でも晩年のエルヴィスを連想させる。
かつては若く美しかったロックンロールの改革者が、音楽産業のシステムに取り込まれ、中高年相手のディナーショーの繰りかえしのなかで疲弊していった痛々しい姿。
そう、『Zoo TV』では、ラスベガスにおけるエルヴィスのイメージが「資本主義の終着地点」として提示されるのだ。
「ベルリン動物園駅(Zoo Station)」から出発した列車がショーの最後にたどり着くのは、ラスベガスなのである。
〇むすび
そのラスベガスを舞台に、この秋から開催される『UV Achtung Baby Live At Sphere』。
『Achtung Baby/Zoo TV Tour』から30数年の時が経ち、世界は激変した。
巨大な体制間の対立が終わりをつげた、冷戦終結直後の『Zoo TV』の時代。
その余波で紛争は頻発しているものの、やがてそれは落ち着き、いずれは資本主義+民主主義のコンボという「ひとつのシステム」に飲み込まれていくだろう……と思われた世界は、しかしフラット化などしなかった。
むしろ対立は世界中のあちらこちらで噴出し、状況は複雑化の一途をたどっている。
日本のサブカルチャー的にいえば、「大きなひとつのシステム」に内在する問題を扱っていた『魔法少女まどか☆マギカ』(2011年)から、「複数のシステムの対立」へと回帰した『リコリス・リコイル』(2022年)へのシフト・チェンジが起きているのだ。*3
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(時間の経過にともなう螺旋状の軌跡を描いたうえでの「回帰」であるので、冷戦前後の状況への単純な「後退」ではないことに注意。)
このとんでもなくややこしい時代に、『UV Achtung Baby Live At Sphere』はコミットすることができるのか。
それとも、晩年のエルヴィスのような「ベガスの懐メロ・ショー」をやってしまうのか。ハイテクな特殊効果てんこ盛りの懐メロ・ショー。
成功でも失敗でも、見応えのあるライヴになるのは間違いないとおもう。
(巨大な失敗は、そこそこの成功よりもずっと見応えがある。)
ラスベガスで体験できないのがつくづく残念である。観られる人は楽しんできてください。
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