今年もまた暮れてった(雑記)
今年ふれたアニメ・音楽の中から、とくに好きだったものを雑然と振りかえっていきます。
〇アニメ
アニメでは、夏クールに放映された『リコリス・リコイル』にハートを射抜かれました。
人々にとっての共通の価値基盤がいよいよ崩壊した2022年。誰もがバラバラの世界を観測し、バラバラの正義を標榜する、そんな時代のムードを強烈に感じさせる舞台設定。
そうした不定型な世界のなかで、己のエゴを頼みに強かに生きるキャラクターたちの造形が最高に輝いていて、ほんっとに素晴らしかったです。
観ているあいだずっと「ツァイトガイスト」とか「エラン・ヴィタール」といった大仰な言葉が頭のなかを駆けめぐっておりました。
ハマりすぎて、ひさしぶりに力のはいった記事を書いてしまった作品です。
『リコリス・リコイル』感想 ②正しさを志向しない千束の「マクシム」
記事中では、こんな感じで論を進めてます。もし興味を感じたら本文を読んでやってください。
- 『リコリコ』は『魔法少女まどか☆マギカ』ではなく『テルマ&ルイーズ』である
- 「単一」の強固なシステムに内在する歪みを扱った『まどマギ』と、「複数」の価値観の対立による明確な世界像の消失を扱った『リコリコ』の比較
- 明確な世界像が消失し、正義が相対化された世界にあって「エゴに裏打ちされた不殺・人助け」という信条をかかげることで「ギリギリの善玉ポジション」をキープする主人公・千束
- 「エゴに裏打ちされた不殺・人助け」という千束の信条の限界と終焉が(じつは)周到に描かれた最終話について
それにしても感心するのは、このアニメって、最後の最後まで走っている方向が皆バラバラなんですよね。
千束は自分に残された時間を生ききることに精一杯で、いっぽうたきなは千束の命を救うことしか頭にない。
真島は千束と真剣勝負がしたい一心でリスキーな行動に出るし、千束を救いたいシンジとミカは方法論の違いから殴りあう。
カタルシスを演出しやすい「同じゴールを目指して一丸となって走る」というストーリー作りとはぜんせん違うことをやっているんですよね。
(もちろんそれは「皆見ている世界や掲げている正義が違う」という作品の基本設計と対応している。)
でも全体のドラマとしては見事な上昇カーブを描きながら最終回にむけて盛りあがっていって、そのままエンドクレジットの向こう側へ突き抜けてしまうという。いや、こんなのよく成功させられたよなあと。
これらベクトルの違うイベントが空中分解をおこさないのは、そのすべての中心に錦木千束がいるからなのですが、このヒロイン像もすごい発明でした。
明るく優しく前向きで、人助けと不殺を信条とする「善玉キャラ」ではあるけれど、本質的にはエゴイスティックで不敵なバッド・ガール。かっこいい!
千束のことしか頭になくて、シンジの犯した犯罪行為(殺人含む)を「そんなことはどうでもいい」と切って捨てる狂犬・たきなも大好き。
(しかしやべー女コンビだな、ちさたき。)
足立:(最終回の千束は)言ってることは滅茶苦茶ですけどね(笑)。いや、ほんとこの作品はみんな、わりとエゴイストが多いんで。
(中略)
したい、とか、欲望みたいなものに忠実であるほうが、人間らしさが出るかなっていう気もするんで。
真島やシンジといった男性陣もふくめて、まるでスコセッシのギャング映画みたいなエゴイストたちの饗宴で最高でした。
……にもかかわらず、上にリンクした感想記事のなかで当初「錦木千束」を「綿木千束」と誤って表記していたことを、ここに自白しておきます。
ここ5~6年でいちばんハマったテレビアニメのメインヒロインの名前を、ずっと間違って記憶してたんですよね私。むかしの知りあいに「綿木さん」がいたので、それにひっぱられたのか?
記事をアップしてから数日後、足立監督の出演した番宣ラジオをなんとなく聞き返しながら作業していたら「ニシキギ・チサト役の安済知佳です」という挨拶が耳に飛びこんできて、血の気がサーッと引いていく感覚を味わいました。ニシ……キギ……?
「横槍メンゴ」を「横倉メンゴ」とか、「仲谷鳰」を「仲谷鳩」とか、えー間違えるかなあ? とか思ってたのに、それどころじゃないミスをやらかしてしまった。
なんというか、年齢を感じた一件でした。
〇音楽
今年はベートーヴェンとブラームスの交響曲全集でそれぞれ素晴らしいセットがリリースされたので、それを聴いている時間が多かったです。
〇ベートーヴェン 交響曲全集
まずベートーヴェンは、ヤニック・ネゼ=セガンとヨーロッパ室内管弦楽団の顔合わせ。
ヨーロッパ室内管のベートーヴェンというと、個人的には去年出たニコラウス・アーノンクールとのライヴ録音の印象がつよくて、あれはずいぶんせかせかとやかましいベートーヴェンだったなあ……というネガティヴな感想を抱いたんだけど、今回はうって変わって素晴らしかったです。
(けっしてアーノンクールのアンチではないんだけど、あの演奏はダメだった。でも、あのアルバムはレコード芸術で何かの賞をとったりして世評は高いみたいです。)
ネゼ=セガンとの顔合わせでは、いかにも室内管らしいフットワークの軽さやしなやかさはキープしつつも、どっしりした落ち着きと気品を感じさせるところもあり……と「いいとこ取り」な趣の演奏。
各曲のクライマックスでは、通常のモダン・オーケストラに一歩もひけをとらないド迫力の大爆発を聴かせてくれます。これはネゼ=セガンがオーケストラを乗せるのが上手いのかなあ。
(いかにもバイタリティあふれるナイスな人、っていう感じしますよね。)
とくに良かったのが第5番。
この曲に関しては、いままで「構成が良くできてる、と感心はするけど、感動はしない」という印象だったのですが、今回の録音は、聴きおえたとき涙で顔がぐしゃぐしゃになってました。
自分でもびっくりした。こんなに力強くて美しい曲だったなんて!
「第5ってジャジャジャジャーンでしょ? いまさら真面目に聴く気になれないよ」
という人にこそ聴いてみてもらいたいです。
録音は残響が控えめのクリアな録音で、室内管の小気味良い機動力の高さ、内声の見通しの良さが存分に味わえます。
〇ブラームス 交響曲全集
ブラームスの交響曲全集は、ヘルベルト・ブロムシュテットとライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の顔合わせ。
ブロムシュテットはNHK交響楽団の名誉指揮者をつとめている関係でよく来日するし、テレビでも姿を見かけることが多いですよね。ブロムシュテットが出演する『クラシック音楽館』はいつも録画してます。
1927年生まれでいまだ現役……ということは、映画界でバケモノ扱いされているクリント・イーストウッドや、今年死んでしまったジャン=リュック・ゴダール(ともに1930年生まれ)よりもさらに上。いやはや。
この人たちがすごいのは、「高齢なのに現役」という前提抜きに、出してくる作品がシンプルに素晴らしいからなのですが、今回のブロムシュテットのブラームス全集もほんっとに良かったです。
近年はブラームスの交響曲も室内オーケストラによる演奏が盛んで、ロビン・ティチアーティとスコットランド室内管との演奏は、私もすごく気に入っておりよく聴きます。
音は薄くても、けっして薄味にはなっていない芳醇な演奏です。
そんなトレンドを尻目に、ブロムシュテットは堂々たるど真ん中の重厚なブラームス。
ブロムシュテットがティチアーティにむかって「いいか若造。ブラームスってのはな、こう振るんだ」と、イーストウッドよろしく凄んでいる様が目に浮かびます。
(ぜったいそんな言葉使いしないとおもうけど。)
とくに素晴らしいのが第4番。
この曲の第2楽章をどれだけ美しく聴かせられるか? が、ブラームスの交響曲に取り組むにあたっての指揮者の腕の見せ所だと勝手に思っているのですが、今回の演奏はすごいの一言。
目の前に人の作為が加わっていない風景がぽっと現れたような、情感過多でいやらしくなることのない美しさで、でもちゃんと血も涙もある。亡霊が、自分の人生のいちばん良かった時代の良かった場面を、端っこのほうから静かに眺めているような音楽でした。
録音も、ホールの残響をたっぷりと含んだスケール感のある、でも注意を払えば聴きたい細部はちゃんと聴きとれる素晴らしいバランス。
なお、第1・2番はライヴ録音、第3・4番はコロナ渦の影響をうけてのセッション録音とのこと。
第1・2番の音源も入念なノイズ除去処理が施されており、いわれなければまずライヴ録音とは気づきません。最近の技術はすごいですね。
ベートーヴェンとブラームスの交響曲を最初から順番に聴きながら、「当時の聴衆にとっての有名な作曲家の新しい交響曲って、いまのミュージシャンのニューアルバム発売みたいなイベントだったのかもな」という想像を膨らませるのは楽しい時間でした。
ベートーヴェンがアグレッシブな第5番のつぎに「田園」をリリースして「そうきたか!」みたいな。「プライマル・スクリームが『スクリーマデリカ』の次にいきなり『ギヴ・アウト~』出してきたぞ!」というのに似た感じだったのかもしれないですね。
〇ポップ・ミュージック
今年は個人的に、ポップ音楽にあまりチューニングできませんでした。
新譜のなかでまともに聴いたポップ・レコードは? と考えてみると、
ケンドリック・ラマー、テイラー・スウィフト、ヴィンス・ステイプルズ、チャーリーXCX、ザ・コメット・イズ・カミング
以上。
たった5枚……!? レコ屋で働いていた20代の自分がきいたら怒りでひっくり返ります、これは。
(あわれなクラシックじじい、みたいな。でも最近は、解釈や演奏スタイルの絶え間ない新陳代謝が起き続けているクラシックにむしろ刺激を感じてしまう。)
アルバムは、ヴィンス・ステイプルズ『RAMONA PARK BROKE MY HEART』が好きでした。この人の最高傑作なのでは。なにより音が良いです。
今年のベスト・トラックもだんぜん『LEMONADE』。
ザ・コメット・イズ・カミングは、90年代っぽい古典的な作りの(世代的に懐かしさを感じる)ダンス・トラックを、シャバカ・ハッチングスのサックスがスペシャルなものに格上げしている感じがしました。
これはライヴが楽しいだろうな。ライヴ、行ってないなあ。
〇むすび
本当は印象に残った本についても書きたかったけど、そろそろお正月の買い出しに行く時間なのでこの辺で。
タイトルだけ挙げておきます。2冊とも今年出た本ではないけれど、遅ればせながら読んでおいて良かったなあ、と思った本でした。
外国のいち営利企業が国家の命運を左右する情報戦争のヤバさと、原理的にスピードを落とせない資本主義のヤバさについて。
来年の注目作としては、まず年明け早々に坂本龍一のニューアルバムが出ます。
坂本龍一、約6年ぶりのオリジナルアルバム『12』発売決定 - OTOTOY
- B-2 UNIT (1980)
- 音楽図鑑 (1984)
- out of noise (2009)
なんですが、記事を書いたことがあるのは、なぜか『BEAUTY』について。良かったら読んでやってください。いまなら書かない類いの記事だなあ。
(自分の文章って、半年もすると「他人事」になりますよね。)
そして夏には、宮崎駿の新作が。
宮崎駿監督の新作「君たちはどう生きるか」23年7月14日公開 ストーリーは未発表も「若々しいファンタジー作品になる予感」 : 映画.com
自分のなかで『風立ちぬ』があまりにも圧倒的・別格的アニメ作品ベスト1であり続けているので、「あれを最後に天才として美しくクロージングしてほしい」という気持ちもなくはないのですが、真に才能のある人は前進し続けるものなのでしょう。
宮崎駿と坂本龍一と村上春樹は、あれだけの存在なのに、新作を出すたびに表現を更新してくるのが凄まじいですね。
いっぽうであの人たちは、たとえ新作を出さずとも、生きていてくれるだけでなんか自分のなかでの「重し」みたいなものになってくれている存在なので、長生きしてほしいです。というのは私の勝手なエゴですが。
そうだ、ブログ開設以来、毎年恒例になっているこの振り返り記事(じつはそうなんです)。
あまりにもいい加減な書き散らしなので、いままでは「年末にアップして正月が終わったら引っ込める」という門松方式をとっていたのですが、今年からは出しっぱなしにしておこうと思います。ブログの更新頻度もめっきり少なくなってしまったし。
それでは、元旦休みの方も、仕事の方も、正月なんか興味ない方も、使っているカレンダーが違う方も、皆さま良いお年をお迎えください。