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『Another』感想:「悪意」の介在しないホラー

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綾辻行人のベストセラー小説で、アニメ・実写映画化もされたホラーミステリ『Another アナザー』の感想です。ネタバレあり〼

 

最近、P.A.Works が製作したアニメ版『Another』(2012年)を(いまごろ)観たんだけど、面白かったです。とくに前半の学園生活のイヤーな雰囲気が絶品でした。

主人公の中学生の少年が東京から地方都市に引っ越してくるところからはじまるお話なんだけど、転入先の学校のクラスメイト全員になんだか生気がなくて、主人公(=他所者)にたいして何か秘密を隠している…という、田舎を舞台にしたホラーでお約束のあの感じ。

そういう地方共同体の閉鎖性とか、発展からとり残された中途半端な地方都市のさびれた街並なんかが醸しだす閉塞感に、都会からやってきた主人公が真綿で首を絞めるようにジワジワと窒息させられていく。自分も中途半端な田舎に住んでるんだけど、そういった雰囲気づくりが上手くて唸りました。エロゲっぽいセンスの背景作画もお話と相性が良かった。

そのあと実写映画版(2012年)→ 原作小説(2009年)の順で追ってみたんだけど、小説も面白かったです。「これは所詮 ”作りごと” なんだ」という割り切り方というか、「人間の心の機微をリアルに描く」みたいな路線はハナから目指してないですよ、という姿勢が徹底されていて清々しい作り。

キャラクターはあくまで作品世界を構成するパーツであって、生身の人間らしい ”曖昧さ” とか ”複雑さ” みたいな割り切れない「ゆらぎ」はこの作品に関しては不要だ、という姿勢*1(人間なんて、じつはけっこうテンプレな「キャラ」じゃないかという話もありますが、それはさておき)。

文庫版の解説で、作家の初野 晴はこんな風に書いています。

 

(…)あと、綾辻先生は登場人物の書き分けが巧いのでチェックしましょう。リアリティではなく、ミステリを構成する「駒」としての判別がつきやすい。創作において何を最優先にしているのかがよくわかります。

(…)

序盤で印象的なのは、主人公が見崎鳴と出逢った際に彼女が発した台詞「待ってるから、可哀想な半身が、そこで」でしょうか。この部分だけ小説家としての視点で読んでしまったのですが、「ああ、このキャラクターは勝手に動かないタイプだな」と感じました。よく考えてみれば、綾辻先生の小説全てにいえることです。キャラクターが勝手に動いて小説を紡ぐということはたぶんない。(…)精密に築き上げた世界を破綻させない。読者に過剰な感情移入をさせない。明確な線引きを行っている。どうぞ舞台の客席から観てください、と。それに見合うだけの結末は用意されているのですから。


綾辻行人『Another』(文庫版解説:初野 晴)

 

もちろん、『Another』のように全てが厳密に作者のコントロール下に置かれた作品にも、逆に作者のコントロールを超えるような部分がある作品にも、それぞれに良さがある…というのは大前提です*2。「登る山が違う」というだけの話。

さて、『Another』は基本的には主人公の少年による一人称で記述されていくのですが、この主人公君が無味無臭というかいたってクセのない少年で、思春期の鬱屈みたいなものはほとんど感じさせない*3。読者にストーリーを伝えるうえでの不純物を排除した語りに徹していて、一人称が採用された理由はあくまで「トリック上必要だったから」…ということが明確なキャラ造形です。

この作品が描くのはキャラクターたちの心の動きとかではなくて、主役はあくまでも作品世界…もっといえば、作品世界を支配する「仕組み(システム)」が作動していくその様です。そして、メインに据えられるだけあって、これが面白い。

この「システム」がどのようなものか、簡単に書いておきます。作中の現在=1998年から26年前のこと、舞台となる中学校の3年3組で、クラスの人気者だった「岬」という男子生徒が突然死亡してしまったことが事の発端です。

クラスメイトたちは岬の死を受け入れられず、卒業までのあいだみんなで彼が「生きている」かのようにふるまって、春には一緒に卒業しよう…という取り決めが、なかば自然発生的にできあがります。担任教師もそれに協力する。岬の使っていた机をそのまま教室に残しておいて、誰も座っていない席に話しかけたり。

そして卒業式。教室で皆で撮ったクラスの記念写真には、死んだはずの岬のぼんやりとした笑顔が…という、ここは怪談話によくありそうなパターン。でも、本当は死んでしまった人間を、クラスの全員が「生きている」かのように扱ったこの出来事をきっかけに、3年3組という “場” は「死に近い場所」になってしまい、その結果としてある「システム」が発動します。

翌年から、3年3組には「死者」が1人紛れ込むようになります。新年度、クラスの机がなぜか1つ足りなくなる。本当は死人である「誰か」が、クラスに紛れ込んでいるんですね。でも、クラスの関係者全員の記憶・認識に改ざんが起きているために、その1人が誰であるかは誰にもわからない。当の「死者」本人にすら、自分が死んでいるという自覚がない。

そして、本来よりも増えてしまったクラスの人数の帳尻を合わせるためなのか、あるいは3年3組が「死に近い場所」になってしまったことの影響を被ってのことなのか、クラスメイトやその関係者たちが次々と不慮の事故などで死んでいく。そのときに死んだ人間のなかの1人が、また別な年の「死者」としてクラスに紛れ込む…というサイクルが回り続けていく。

『Another』にはほかにもいくつかの仕掛け(トリック)が施されていて、エンタメとして贅沢な作りなんだけど、中心に据えられているのは、3年3組に発動したこのような「システム」です。それで面白いのは、数々の惨劇を生んでいくこのシステムの発動には、誰かの「悪意(意志)」はまったく介在していないという点。

多くのホラー、たとえば『リング』や『呪怨』などでは、最初にある悲劇があって、その犠牲者の恨みが原因となって…つまり「悪意(意志)」によって呪いが発動し、人が死んでいきます。

でも『Another』の3年3組のシステムには呪いのような「悪意(意志)」は無関係です。26年前のクラスメイトたちの悪意のない行動が「たまたま」あるシステムを立ち上げてしまい、そのシステムが誰にも止めることのできないまま作動を続け、結果として人が死んで行く*4

 

(…)まずね、これはいわゆる『呪い』じゃない、とは思うわけだ。二十六年前の岬くんの一件がきっかけとなったのは確かだが、彼の悪霊なり怨念なりが元凶としてあって、その働きかけによって災いが降りかかるわけではない。まぎれこんだ <死者> が手を下して、あるいはその意志によって人が死ぬわけでもない。

何者かの悪意や害意はどこにもないんだ。(...)

綾辻行人『Another』)

 

人間(ないしは何者か)の「意志」が不在のままシステムが作動を続け、それが結果的に惨劇をひき起こす。悪意や害意ではなくシステムが作りだす恐怖を描いている…という意味では、たいへんありがちな表現だけど「現代的」なホラーといえるかもしれない。お話の種類としては(このブログで感想を書いた作品でいうと)『キューブ』『アウトレイジ』『魔法少女まどか☆マギカ』『モンスターズ・インク』などに近いです*5

仮に岬くんの悪霊が一連の惨劇の元凶であれば、彼の霊を封じるなり成仏させるなりすれば、それは止まるはす。難しいかもしれないけど、すくなくともそういう対策は立てられます。でもそうではなくて、「たまたま」あるシステムが発動してしまったのが事の起こりで、誰も怒っている人がいない。

しかも、システムの全貌というか、どういうルールのもとにシステムが動いているのかがはっきりとは掴めないんですね。「たぶんこういうことじゃないか」と、漠然とした推測をしていくしかない。3年3組のメンバーたちはたしかに何らかのシステムに含まれていて、事実人が死んでいっているのに、システムの全貌を見渡すことができないから決定的な対策をとることができない。

結局『Another』では、根本的な解決策が見いだされないまま、主人公たちは対処療法的な対策で危機をしのぎます。「その年」の危機は去った。でもシステムは存続しているので、翌年はまた、あらたに進級してきた3年3組のメンバーたちが危険にさらされるかもしれない。惨劇のサイクルは続いていく。

あるいは、この作品は「ループもの」の変種、という見方もできるかもしれません。3年3組という「場」を主人公に、何度も繰り返されているループのうちの1回を任意に取り出して描いてみせた…みたいな『AIR』的な作りともとれて、ループからの「解脱」は最後まで描かれない。

人間の意志を介在しないシステムが作動を続ける「場」を主人公に、「システムに翻弄される人々の感情の動き」よりも「システムが作動する様子そのもの」が暗い魅力とともに描かれる『Another』。少年の一人称によって記述された小説でありながら、読み方によってはそのように、人間の扱いの比重がとても小さく感じられるところが面白かったです。

 

 

*1:人間的なドラマよりも「仕掛け」が優先される…という特徴は「(新)本格」の傾向とも一脈通じるところがあるのかもしれませんが、あまり知識がないので迂闊なことは言わないでおきます。この記事はあくまで『Another』単体の感想として読んでください。

*2:作品へのコントロールできない要素の導入については、『この世界の片隅に』の片渕須直監督の話が良かったです。アニメは画面の全てがコントロールできる、ということについて→「いや、そうすると、コントロールする人間の限界が作品の限界になっちゃう。それはつまらない。今回は想像力だけではできないことを盛り込もうと、実際のその年の何月何日はどんな天気だったかとか、月はどれくらい欠けてたとか、何時に出るとか、一見どうでもいいようなことを調べました。偶然性の要素がいっぱい入ってくる。旦那さんと主人公が段々畑で夕方にタンポポに囲まれて港を眺めていたいのに、その日は曇りであると。じゃあ一番いい曇りにしてあげたいという気持ちが湧きつつ、結局、絵に描いたようなとならずに済んだのではないか。」(片渕須直監督・西川美和監督対談 / 毎日新聞)

*3:亡くした母親の幻影と決別して、他者としての異性を選択する…みたいなドラマもあるにはありますが主張は控え目で、主人公の葛藤の描写もごくあっさりとしたものです(そういう「葛藤」のドラマにはホントは興味ないんだけど、読者サービスとして入れたんじゃないか?と邪推したくなるような淡白さ)。

*4:近いタイプのホラーとしては、黒沢清監督の『回路』(2000年)が思い出されます(関連記事:『トウキョウソナタ』感想 )。この映画でも、あの世からこの世に幽霊が侵入してきて、そのかわりに人間が消滅していく。でも、幽霊たちにはとくに悪意や害意はなくて、あるとき突然開いた「回路(システム)」にのっかってやってきただけの存在でした。

*5:関連記事:『アウトレイジ』感想  / 『魔法少女まどか☆マギカ』と『モンスターズ・インク』の共通点について  /『キューブ』についてちょっと触れてる、ヴィンチェンゾ・ナタリ監督の『スプライス』感想