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サリーと鹿目まどか 、トム・ヨークと堀越二郎 〜『モンスターズ・インク』感想

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 『モンスターズ・インク』と『魔法少女まどか☆マギカ』のネタバレを含みますので、ご注意ください。

 

                     ◯

 

 映画の舞台は、モンスターたちが生活する世界。

 この世界は、人間の子供があげる悲鳴をエネルギー源にして動いています。「モンスターズ・インク」は、そのエネルギーの供給元である大企業。従業員たちは、人間界に通じるドアを通って人間の子供をおどかし、悲鳴を集めています。そして主人公のサリーとマイクは、悲鳴の収集にかけては会社でトップの業績をあげている名コンビ。

 サリーはとても気だての良いヤツなんですが、雄牛のような二本のツノをもち、身体が大きくて一見恐ろしげな風貌。彼の外見の主要なモデルは、おそらくギリシャ神話に登場するミノタウロスです。「ダンジョンズ&ドラゴンズ ミノタウロス」で画像検索をかけると、サリーをコワモテにしたようなモンスターの画像が出てきます。

 最初に、このサリーのモデルがミノタウロスだった理由、ミノタウロスの物語的な意味づけについて見てみたいと思います。

 

ミノタウロスレディオヘッド

 『モンスターズ・インク』の全米公開は2001年11月でしたが、同じ年の5月に、やはりミノタウロスをモチーフにした作品が発表されています。

 イギリスのロックバンド、レディオヘッドの5枚目のスタジオ・アルバム『アムニージアック』(2001年5月リリース)。このジャケットに、泣いているミノタウロスのアイコンが印刷されていました。

 ミノタウロスクレタ島の迷宮に閉じ込められ、生け贄として捧げられる人間を食べて生きています。バンドはこのモンスターと、現代の先進国に生きる私たちの姿を重ね合わせているようです。

 アルバムリリース時のインタビューで、ボーカルのトム・ヨークは、こんな風に話していました。

  

「この音楽は、必死になって迷宮を抜けようとしているんだ。まあ、(このアイコンは)ノンキっぽいっていうか、意味もないし、悪魔っぽくも見えるけど、実はミノタウロスなんだよね。" 絶対にここから出られない "っていうフィーリング。罠にはまって、どの方向に進もうと絶対に出られないんだ。」

 

「僕らはグローバル経済っていう祭壇に何百人、何千人もの人々を生け贄にして、グローバル経済という神に捧げてるんだよ。そんなもの、まったく存在もしてないのに!単に、ぼくらがその場所に当てはめたメカニズムに過ぎないのに、僕らは馬鹿すぎてそれが認識できない。だろ? "世界の終末"  を止めるために子供達を山に連れていって、切り刻んでバラ撒いたマヤ人とまったく同じさ。」

 

(『スヌーザー』2001年6月号)

 

 私たちは現代のメカニズム、経済システムの「迷宮」に生け贄を送り込んでいる。あるいは「迷宮」に閉じ込められて、泣きながら生け贄の人間を食べるミノタウロス=私たち、という認識。そういえば『風立ちぬ』公開時のインタビューで、宮崎駿もこんな発言をしていました*1

 

「(主人公・堀越二郎の、兵器の設計者としての戦争責任を)断罪する人は断罪すればよろしい。そうやって生きなさい。でも全員が反戦活動をしたり、社会主義者になって牢屋に入るわけにいかないから。職業をもつということは、どうしても加担するという側面を持っている。それはもうモダニズムの中に入ってるんだと思ってるんです。」

 

(『Cut 20139月号)

 

 

◯2001年『アムニージアック』と『モンスターズ・インク

 『モンスターズ・インク』のサリーがミノタウロスだったのも、先進国に生きる、このような現代人の姿を反映させた設定だったのではないかと思います。*2

 あるときサリーとマイクは、ひょんなことから「悲鳴を搾りとられる側」である人間の子供、ブーと出会います。ブーは、アジア系の風貌をそなえたキャラクターです。

 これらの設定に表れているように、『モンスターズ・インク』は「モンスター=搾取する先進国」と「人間の子供=搾取される途上国」との衝突を扱った映画でした。

 2001年9月を前後して、『アムニージアック』と『モンスターズ・インク』という、ミノタウロスをモチーフに借りて時代の構造を描いたふたつの作品が登場していた。鋭い作り手というのは、ときどき時代とシンクロしちゃうものなんだなあ、と感じます。

 さて、サリーとマイクは、ブーと接するうちに、人間の子供の悲鳴をエネルギーにする現行のシステムは間違っているんじゃないか、と考え始める。

 「人間の子供」という漠然としたイメージしか抱いていなかったとき、サリーたちにとって子供は、たんなるエネルギーの供給元でした。それが「ブー」という名前をもった「個人」として目の前に表れて、相手のことをよく知るにつれて、だんだん考えが変わっていく。

 彼らは「迷宮」からの脱出を決意します。でも、生活を維持するためにエネルギーはどうしても必要。

 そこで映画のラスト、エネルギーを取り出すシステムを全て破壊してしまうのではなくて、システムのあり方を「人間の子供を傷つけないで、エネルギーを取り出す」というやり方に変える方法が登場する。じつは「笑い」のほうが「悲鳴」よりも効率のよいエネルギー源だった、という発見です。

 

◯2011年『魔法少女まどか☆マギカ』 

 「非人間的なシステムを、人間に奉仕するものに改変/再定義する」という発想を、問題の解決策として提示する。このタイプの物語として記憶に新しいのは、『魔法少女まどか☆マギカ』(2011年)です(これもまた、時代と思い切りシンクロしてしまった作品)。

 この作品では、「悪役」である地球外生命体(キュゥべえ)が、魔法少女たちを「絶望」におとしいれ、そこからエネルギーを取り出すシステムを構築しています。これは『モンスターズ・インク』の世界で、子供たちの「悲鳴」からエネルギーを取り出していたのとおなじ搾取のシステムですね。

 それでは魔法少女たちがかわいそうなんだけど、いっぽうで、宇宙の維持のためにはそのエネルギーが必要...というジレンマが提示される。

 ほむらや杏子といった、キュゥべえに騙されるようにして魔法少女になったキャラクターたちは、魔法少女を搾取するシステムに対して、そのシステムの内側から「プレイヤー」として抵抗を試みます。でも内側からの、相手のルールにのっとった抵抗では、どうあがいても勝ち目はない。

 それに対して、システムの外側で魔法少女たちの不幸を見つめ続けてきた主人公・まどかは、最終的に「システムのルール自体を変えてしまう」という方法を選択します。システムのあり方そのものを「魔法少女が不幸にならずに、エネルギーは別ルートで回収する」というものに上書きしてしまう。

 ただしその新しいシステム構築のためには、まどかが「メタ・プレイヤー」になる必要があり、いちプレイヤーとしての「平凡な人間の少女の生活」を放棄することが求められる(いやあ、最終回泣きました)。ここが『モンスターズ・インク』よりもシビアなところです*3*4

 

◯システムと人間

 さきほど引用したトム・ヨークのインタビューが掲載されていた雑誌には、イギリスのテクノユニット、オウテカのメンバーであるショーン・ブースのインタビューも掲載されていました。

 彼は「今のところ世界を救えるのはテクノロジーや産業だけ」としたうえで、産業(システム)と人間との関わりについて、こう発言しています。

 

「僕らは今おそらく、『産業が一般大衆にとって何を意味するのか?』っていうことを再定義し始めなきゃいけない状況にいるんだ。産業は、人々から金を搾り取って、それ自体のみがどんどん膨張していくような悪者とは、別のものにもなれるんだ。産業は基本的に、大きな意味で人々に奉仕するものになる必要がある。」

(『スヌーザー』2001年6月号)  

 

 物語のなかでこの再定義を実現して、希望を感じさせる結末にしようとすれば『モンスターズ・インク』や『魔法少女まどか☆マギカ』になるし、現代の複雑さ、割り切れなさをそのまま作品世界に引き受ければ『アムニージアック』や『風立ちぬ』になる。

 前者の態度はよりエンタメ寄りになるので、物語の構造を明確にし、ラストのカタルシスを生むために「悪役」が必要になります。それが『モンスターズ・インク』の社長であり、『魔法少女まどか☆マギカ』のキュゥべえ。でもこれらの「悪役」は、本来的な「悪」の発生源ではありません。

 モンスターズ・インクの社長は「3代目」で、「子供の悲鳴からエネルギーを取り出す」というシステム自体を発明したわけではない。そしてキュゥべえも、「悪意」ではなく、あくまで合理的な思考の帰結として「魔法少女の不幸からエネルギーを取り出す」システムを構築したにすぎません。

 子供たちや魔法少女たちを苦しめるのは「悪意」ではなく「システムのあり方・構造」*5。そして社長やキュゥべえはシステムに乗っかっているだけの存在で、もしそのポジションにいるのが彼等でなかったとしても「悪」は発生している(キュゥべえは「殺しても、いくらでも替わりがいる存在」として描かれます)。なので、単純に彼らをやっつければめでたし、とはならないところが、両作品の優れた共通点です。

 2001年当時の、アメリカ大統領についてのトム・ヨークの発言。

 

「本質的に、もし彼じゃなくても、他の誰かが追い込まれた立場なんだ。ブッシュ自身は本来的な悪じゃないんだ。ただバカなだけ」

(『スヌーザー』2001年6月号)

 

 『モンスターズ・インク』単体の感想からはずいぶん軌道が外れてしまいましたが、今回挙げた作品はどれも、短絡的な敵/味方の二項対立に逃げずに、辛抱強く時代の構造と向きあった態度が好きなものばかりです。

 

※この記事の短縮バージョンも書きました↓

『モンスターズ・インク』 ~システム再定義の物語 

 

◯おまけ

 『アムニージアック』の冒頭を飾る曲『パックト・ライク・サーディンズ・イン・ア・クラッシュト・ティン・ボックス』。「つぶれた缶に、イワシみたいに詰め込まれて」。押し殺した怒りを感じる曲。

 わかりにくいですけど、アルバムジャケットの赤い画像に、泣いているミノタウロスのアイコンが描かれています。

 


Packt Like Sardines In A Crushd Tin Box ...

 

 もう1本、オウテカ2002年のシングル『ガンツ・グラフ』。音も凄いですが、アニオタ的には当時度肝をぬかれた人続出の映像にも注目。アレクサンダー・ラターフォードという変態(褒め言葉)が、4ヶ月かけて制作。なんと90%が手書きだそう。

 


Autechre - Gantz Graf (Official Music Video) 1080p ...

 

 

*1:関連記事:世界を図式化せずに物語る ~『風立ちぬ』感想

*2:たんに制作者が、伝説的なストップモーション・アニメーターのレイ・ハリーハウゼンのファンだったから、という線もありますが(『モンスターズ・インク』に登場する寿司屋の名前は「ハリーハウゼン」)。ハリーハウゼンが特撮に関わった『シンドバッド虎の目大冒険』には、ミノタウロスが登場するそうです(残念ながら未見。『タイタンの闘い』は、子供心に面白かった記憶が)。

*3:脚本の虚淵玄爆笑問題のラジオに出演したときに語っていたところによれば、ピクサー作品で好きなのは『トイ・ストーリー3』だそう(男の友情が熱くて燃えたらしい)。『モンスターズ・インク』は「最後がズルい」ので、好きではないようです。サリーたちがなんの犠牲も払わずに、あっさりと新しいシステムを構築したのが気に入らなかったのか、あるいは、作品内のルール(ドアの破壊は、関係性を断つ "橋を焼く" 行為)を引っくりかえして、ブーとの再会が実現したのが嫌だったのか。

*4:いっぽうで『モンスターズ・インク』の優れた点は、主人公を「搾取する側」の存在として設定している点です。

*5:「悪意」ではなく「システムのあり方・構造」が登場人物たちを苦しめるタイプの作品としては、こちらも面白かったです→『Another』感想:「悪意」の介在しないホラー