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ねざめ堂

アニメ・映画・音楽

『アウトレイジ』と『アウトレイジ・ビヨンド』の面白味の違い

北野武 映画

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 ふと思い立って、公開当時に映画館で観たきりだった北野武監督『アウトレイジ』(2010年)と続編『アウトレイジ・ビヨンド』(2012年)をまとめて鑑賞。

 続けて観たら、シリーズ1作目と2作目ではけっこう違う種類の面白味を追求していることに気付いたので、そのあたりについて書いてみたいとおもいます。ネタバレがありますので、ご注意ください。

 

◯ゲームのルール>人間の『アウトレイジ

 まず1作目の『アウトレイジ』ですが、こちらは任侠物のウエット感を排除した、ものすごくドライな質感が面白いヤクザの抗争劇です。いちおうビートたけしが主演ということになってるけど、彼がストーリーを引っ張っていくわけではない。映画の真の主役は人間のキャラクターじゃなくて「ゲームのルール」です。

 登場人物たちが抱える内面とはまったく無関係に「相手がこう出てきたら、ヤクザとしてはこう反応せざるを得ない」というヤクザ同士のパワーゲームのルールがあって、そのルールに従って淡々とストーリーが転がっていく。

 このルールと、登場人物の内面の乖離が凄まじくて、たとえば映画の「売り」のひとつになっていたヤクザ同士の「怒鳴りあい」ですが、これ、本当に腹を立てて怒鳴ってる奴ってほとんどいないんですね。

 


映画『アウトレイジ』特報

 

 いたとしても下っ端のチンピラで、ある程度上のヤクザたちは「ここは怒鳴るべきシチュエーション」というヤクザのルールに従って怒鳴っているだけ。役割を演じているだけなんです。感情の発露ではないから、どんなに激しく怒号が飛び交っていても、どこか淡々とした印象がつきまとう。

 そして、登場人物の内面と外的な状況のズレによって生じているはずの葛藤も、ほとんど描かれない。ギリシア悲劇で人間が運命になす術もなく翻弄されるように、ルールに従った機械的なリアクションの連鎖がおきてパタパタと人が死んでいくさまを、徹底して外面的に描いていきます。ほんと潔いほどにストーリーの「構造しかない」映画で、その人間不在の無機的な質感が魅力。

 いつもの北野映画では、あるていど画になる最後を迎える役者としてのビートたけし(自分で頭をぶち抜いたり、ハチの巣にされたり)も、この映画では冴えない囚人服姿で、腹を刺されて地味に死んでいく。大勢いる登場人物たちのうちのワン・オブ・ゼムという感じの殺され方で、死のヒロイズムが徹底して斥けられています。

 映画の主役が、人間ではなく「ゲームのルール」であることを印象づけるような地味な退場。

 

◯人間にフォーカスした『アウトレイジ・ビヨンド』

 そのたけしが、じ、じつは生きていた…!という続編『ビヨンド』。こちらは、無機的だった前作と比べると、もうちょっと人間味が前に出ている印象。

 登場人物たちの間に「兄弟間の仁義(ヤクザ共同体)を重んじる旧世代ヤクザ」と「新自由主義的な価値観を導入する新世代ヤクザ」という対立軸が設定されていて*1、後者に対する前者の反発が描かれる…つまり「感情のドラマ」が(ちょっとだけ)導入されているんですね。

 そのぶん『ビヨンド』のほうがキャッチーで、旧世代ヤクザのウエットさ…兄弟や手下想いの側面が強調されています。無機的で尖った印象の前作よりも、ドラマ的にけっこうサービスしている続編。劇場公開時は宣伝も派手にしていたし、「いっちょ当てたる!」という野心があったのかもしれない(実際ヒット)。

 そしてもうひとつ、登場人物たちがほとんど運命的にゲームのルールに支配されていた『アウトレイジ』と比べると、「誰がルールを逆手にとって、ゲームを支配するか?」というメタゲームの色合いが濃くなっているのも『ビヨンド』の特徴です。

 続編を作るときのパターンのひとつとして「前作でやったことをメタ化してみせる」というものがあって、たとえば『オーシャンズ12』は「メタ・オーシャンズ11」として組み立てられた続編でした(関連記事→「ファミリー」映画としての『オーシャンズ12』)。

 『アウトレイジ』と『ビヨンド』も同様の関係にあって、『ビヨンド』では小日向文世演じる刑事が、ヤクザ社会のパワーゲームのルールを利用して、ゲームの支配を目論んでいる。「ここをこう刺激すれば、ヤクザとしてはこう動かざるを得ない」というふうに、ゲームを外側から見る視点を持ち、それを利用しているのが彼です。

 前作でも山王会の先代会長がそういう視点をちょっと持っていたけど、それが全面展開されるのが『ビヨンド』。なんといっても、小日向文世は刑事という立場で、ヤクザ社会の「外側」から彼等のゲームを眺め、ちょっかいを出すことができるのが有利です。

 で、ラストで小日向文世の目論見を見破って撃ち殺すのがビートたけしなんですが、その前に彼もヤクザ同士のパワーゲームから降りているのがポイントです。ストーリーの途中までは、たけしもゲームのルール(そしてルールを逆手にとってゲームを動かす小日向文世)の思い通りに動いてしまっているんだけど、いったんそこから降りて韓国に渡っている…つまり「外側」からゲームを俯瞰できたから勝てた…というオチの『ビヨンド』。

 「ゲーム(システム)のメタポジションに立った奴が勝つ話」というと、アニオタとしてはつい『魔法少女まどか☆マギカ』(2011年)を思い出してしまうんだけど*2、そういえば小日向文世ってキュゥべえっぽい顔してますね。いかにも「わけがわからないよ」とか言いそうです。ビートたけし鹿目まどかには見えないけど。

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※北野野武 カテゴリーの記事一覧 

*1:価値観の対立は、ヤクザ側と対応して警察側にも設定されています。出世のためならなんでもする小日向文世と、『ビヨンド』から登場した「一生ヒラでいい」という正義感の強い松重豊松重豊ビートたけし演じるヤクザに強くあたりますが、それでもたけしは、器用に立ち回る小日向文世よりも、愚直にスジを通す松重豊に好感を抱いているのではないか?と思わせる描写がありました。

*2:関連記事→ サリーと鹿目まどか 、トム・ヨークと堀越二郎 〜『モンスターズ・インク』感想