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『中二病でも恋がしたい!戀』感想①:「好き」を続けていくために

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 ※『中二病でも恋がしたい!』(1期・2期)のネタバレをしています。

 

                    ◯

 

 1期でヒロイン・六花は勇太とつきあい始めましたが、恋愛は必然的に、自分の周囲の状況に「変化」をもたらすもの*1。2期『戀』の六花はそのような「変化」にとまどい、その影響で、大好きだったはずの中二病の「輝き」が薄れていってしまいます。

 いっぽう新ヒロイン*2の七宮智音は「もしも六花が勇太とつきあわずに、中二病の道を邁進していたとしたら?」という「六花の "if" 」的なキャラクターです。彼女は過去に勇太への恋心(=変化)をシャットアウトして、自分の大好きな中二病世界を守る...という決断をした人物。

 

・恋愛(=変化)を受け入れたが故に不安定な六花

・恋愛(=変化)を拒絶したが故に安定している智音

 

  このふたりのヒロインの対比が、2期の主軸になっていました。

 

◯六花の「if」としての智音

 シリーズの中盤(第9話)までは、恋愛という「変化」を受け入れた、六花のとまどいが描かれます。恋愛の進展とともに変化していく自分自身と、それまで大切にしていた「中二病的な虚構」とのあいだに次第に広がっていく「ズレ」に悩む六花。

 そして、新キャラの智音。さきほども書いたように、彼女は勇太と結ばれなかった六花の「もしも」=「if」的な存在です(かつて六花の住んでいた部屋に引っ越してくる、という設定もそのあたりを暗示しています)。

 

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 彼女はかつて勇太に恋をしかけたとき、その恋心と「中二病的な虚構」とを天秤にかけ、虚構の方をとってしまった、という筋金入りの中二病患者。『中二病でも恋がしたい!』というタイトルは、「中二病」と「恋」の両立を志向していますが*3、智音は「両立なんて図々しい。二兎を追うものは一兎をも得ず!」という、見方によっては潔い決断をしたキャラなんですね。

 そして、自分の中の中二病的虚構世界を守るために「恋愛によって変化していく自分」を凍結した。

 

「私は、魔法魔王少女ソフィアリング・SP・サターン7世!すべてを捨てて、この力とともに、その生涯を全うするんだよ!」(第7話)

 

 オタクに置き換えてみると「俺は生涯二次元の嫁だけでいい!宣言」みたいな感じでしょうか?

 六花たちの前に登場した当初の智音は、中二病を満喫している非常に安定した人物で、これは六花が「恋愛」というはじめての経験のなかで戸惑い、不安定になっている姿とは対照的。

 ただ、彼女の安定は「自分はこの先もずっと変わらない」という決意の上に成り立っています。

 

◯六花の葛藤の決着

 やがて、智音の安定は突き崩されます。そのきっかけになったのが、第9話で一皮むけた六花の「恋愛で変わっていく自分と、中二病を両立させてみせる」宣言。

 

                   ◯

 

 六花は、勇太のなかに眠る「暗炎龍」を蘇らせようと画策します。そのことで、自分こそが勇太の「永遠の契約者」であることを証明しようとしている。...うん、自分で書いていてもなんのことだかよくわかりませんが、ようは、勇太との関係にどこか不安を感じていて、ふたりのつながりを強固なものにしたいんですね。恋する乙女です。

 でも智音から見ると、「暗炎龍」を呼び覚ますのは、勇太をいったんは卒業したはずの中二病世界に引き戻す行為。

 智音の見解では、中二病と恋愛は両立しません。自分のかつての経験からいって、現実の恋愛を中二病的な虚構世界に持ち込むと、虚構はその輝きを失ってしまう(恋愛の放つ光のまぶしさの前に霞んでしまう)。だから智音は、六花に警告をします。

 

「暗炎龍を蘇らせるには、世界の理  "連関天則" に従って、永遠に邪王真眼でいる覚悟が必要だよ。別れは別れではなく、変化は変化ではなく、時は輪廻回廊とともにめぐる。そのためには、今の勇者への想いを、消滅させなきゃいけなくなるかもしれない。私と、同じように。」

 

 に、日本語でおk...

 

(意訳:勇太といっしょにこの先も中二病を楽しんでいきたいんなら、恋愛はあきらめなきゃいけないかもだよ?かつての私みたいに)

 

 六花を思いやってのアドバイス。優しい子なんですね。

 おそらくは智音の造語である「連関天則」については、独立した記事を書いたのでそちらを読んでいただけると嬉しいですが、ざっくりいえば「ある物事がずっと続いていくための原理、法則」みたいな意味でしょうか。

 ある物事をキープするためには、変化をストップさせなければいけない。それが智音の考えであり、中学時代に実行したことです。中二病時間をキープするために、恋愛という変化をストップさせる。博物館で展示品を保護するために、外気をシャットアウトしたガラスケースのなかに保管するようなイメージですね。

 でも六花は、父を失った悲しみの中で中二病(虚構、フィクション)に救われたこと、そしてそんな中二病患者である自分を勇太が好きになってくれたことへの信頼から、「恋愛も中二病もあきらめない」という結論に達します。

 自分の中だけで悩むことをやめて、「ふたりの "あいだ" の関係性」に突破口を見いだした、という展開。それまでは、勇太という他者を自分の内側に受け入れたことが六花の不安定さ、弱みにつながっていたんですが、それが強みへと反転する(自分とは異なる他者を受け入れないと、「あいだ」は発生しないので)。

 第9話の、智音との砂浜での対決シーン。出現した異空間に、六花と勇太ふたりの思い出のフィルムが流れているのも、六花が「恋愛か中二病か」という二者択一、「自分の中だけの自問自答」から脱却して、「ふたりの "あいだ" の関係性」という解に到達した...という表現になっていたと思います。

 

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◯智音の「if」としての六花

 第9話で六花の葛藤に一定の決着がついてからは、それまでの構図が逆転して、「智音の ”if” としての六花」という側面が強調されはじめます。六花の好調と入れ替わるように、それまでは智音の精神の安定に寄与していた、外部のシャットアウト...精神的クローズド・サーキットの限界が露呈しはじめる。

 中学時代の智音には、「現実か虚構か」の二者択一しか見えていませんでした。恋愛を取れば、中二病的な虚構世界は崩壊してしまうと思い込んでいた。けれど目の前に、自分とは違う選択をした六花がいて、中二病と恋愛を両立させている。

 彼女をみていると、「あのとき違う選択をしていたら」という気持ちが止められなくなる。「変わらない」という決意のうえに成り立っていた智音の安定は揺らぎはじめます。それは、恋に落ちる前はそれなりに安定していた彼女のアイデンティティの危機です。

 それまで楽しんできた虚構(フィクション)と、その虚構の維持を不可能にする「自分自身や、周囲の状況の変化」とのあいだに生じた溝に悩む智音の姿をみていたら、ふとこの記事を思い出しました。面白いんだけど、ちょっと心が痛くもなったりして。

オタクのソロプレイを続けるためには、才能が要る - シロクマの屑籠

 

 

◯智音の恋心の決着

 動揺した智音は「勇太が六花しか見ていない」という事実を自分自身に突きつけることで、自分の中の恋心を叩き潰そうとします。

 

「自分の中の敵だからね。逃げようがないもの。だから戦うことにした」(第10話)

 

 立派なんだけど、でもこれは六花が自問自答をやめて「勇太と自分の "あいだ" の関係性」に活路を見いだした態度とは対照的で、どこまでも自分の中「だけ」での解決を図っている。この作戦は結局、余計に恋心を煽る結果に終わってしまいます。

 そんな智音に、モリサマー様からのアドバイス

 

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「自分を知るには、外に目を向けるべきなのです。私が偽物と戦うことによって、自らを知ったように、ソフィアにも戦うべき相手がいるはずです。その相手を探しなさい」(第11話)

 

 森夏のバック、団地のベランダがステンドグラスっぽく見えるの、さりげなく凝った演出ですね。

 第8話で、森夏はモリサマーの偽者との戦闘を通して、自分が未だに中二病的な世界を大事に思っていることと、凸守への好意を再確認しました。

 自分の姿は、他者との関係性を通してしか確認できない(って旧エヴァでも言ってたね)*4。森夏は「自分の中の問題に決着をつけたければ、外側の対象としっかり向き合いなさい」とアドバイスしたわけです。これは、六花の「私は、勇太が信じてくれた自分を信じる」というセリフとも対応します。自分と他者の「あいだ(=関係性)」に目を向けること。

 それを受けて、智音は勇太と向き合う決意をします。もっと正確にいえば、かつて勇太とともに「中二病的な虚構世界」を追いかけていたときのふたりの時間や想いをまるごと象徴する「暗炎龍」と向き合い、決着をつける。

 

「やっとわかったの、私が戦うべき相手、戦わなきゃいけない敵が。それは勇者と想い、勇者と追いかけ、勇者と諦めた暗炎龍。それが私の戦わなきゃいけない敵、決着をつけないといけない相手!」(第11話)

 

 このセリフからの、智音と「暗炎龍」との対決は良かったなー。とくに、闘いを終えて落下していく智音の映像は美しかったです。

 

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 1期のラストでは、勇太の力によって現れた不可視境界線(=中二病的な虚構)のおかで、六花は父に「さよなら」を言う(父の死を受け入れる)ことができましたが、この闘いは、その智音バージョン。

 中学時代、智音が勇太に中二病の影響を与える → 勇太が六花に中二病の影響を与え、六花を救う → 勇太との関係をより強固なものにしたいと願った六花の行動が、中学時代に智音と勇太が追った中二病的な虚構の再顕現を可能にする → そのことで、凍結されていた智音の時間が動き出す。

 ここで円が一巡するのであった...という見事な脚本。花田十輝さすがである。

 

◯「変わらないために、変わる」=新・連関天則

 中学時代の智音は、自分の中に生じた変化(恋心)を無視して「変わらない」道を選びました。第3話のラスト、団地の階段での勇太と智音の会話。中学を転校するときに、別れの挨拶もせずに去っていったことを勇太に責められ、智音はこう答えます。

 

「別れの言葉を口にすると、その瞬間、それは別れになるんだよ。(…)口にしない限り、別れじゃないんだよ。それが世界の理、"連関天則" だよ。(…)私は未来永劫、変わらないよ」

 

 「口にしなければ、別れは別れじゃない」。これが「自分の中の変化」をシャットアウトする「連関天則」なんですが、「自分の外側の世界」を無視するこの発想にはもちろん無理があって、そのために「歪み」が溜まっていた。それが一気に吹き出してきてしまい翻弄されたのが、第9話以降の智音でした。いくら自分の中だけで「変わらない」という決意を固めても、その外側で世界はどうしようもなく動き続けている。

 いっぽう第11話、「暗炎龍」との闘いを終えた智音は「新生ソフィア」へと進化を遂げます。団地のベランダでの勇太と智音の会話。「お前さ、いったいどこが変わったんだよ」と問う勇太に、智音は答えます。

 

「私は変わらない。未来永劫、魔法魔王少女なんだよ。だから変わらないという名のもとに、溜まっていたものを破壊し、変わらないために強く大きく変わる闘いが必要だったんだよ」

 

 第3話と第11話で交わされた智音と勇太のこのふたつの会話は、シチュエーションや内容が対になっています。

「場所...団地の階段 or ベランダという境界境界」「位置関係...低い位置にいる勇太が、高い位置にいる智音に問いかける」「会話の内容... "連関天則" に関すること」

 

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(左:第3話 右:第11話)

 

 このふたつの会話は、シチュエーションが対になっているからこそ、その中身の違いが際だつ...という関係にあります。

 第3話では「私は変わらない」と決めているがゆえに、まだ(表面的には)無敵状態の智音が、高い位置から低い位置の勇太にたいして、一方的に自説を開陳する。逆光まで差してきて、もう有無を言わさない感じですね。

 いっぽう第11話では、低い位置にいる勇太の言葉から、高い位置にいる智音が気付きを得る、というくだりがあります。

 「変わらないために変わる」という智音のセリフを聞いた勇太は、最初「なんだそりゃ?」と笑いますが、

 

勇太「でも、もしかして、それが "連関天則" か?」

智音「あ、うん...そうだね、それが "連関天則" だよ」

 

 ここで勇太の言葉をうけて、智音のなかで「連関天則」の意味が更新されているんですね。ふたりのあいだで「対話」が成立しているわけで、他者との関係性に心を開いた智音の変化・成長が現れています。

 今回智音が到達した結論、「変わらないために変わる」。彼女は、勇太とともに追いかけた、かつてのバージョンの「中二病的な虚構世界」を葬り、でも中二病自体を捨て去るのではなく「アップデート」した。かつて輝いていたバージョンの中二病世界(暗炎龍が象徴)へのこだわりを捨て、そのことによって「これからも中二病を楽しむ」という、いちばん大切な核の部分を守ることができました。

 これは、歌舞伎や落語などの大衆芸能が、伝統にあぐらをかかずに時代ごとの変化を取り入れながら現代まで生き残ってきた...みたいな話に近いと思います。中学時代の智音が提唱した「旧・連関天則」が「博物館のガラスケース」という静的なイメージを持っていたのにたいして、更新後の「新・連関天則」は、周囲の状況の変化を取り入れながらアップデートを重ねていく...という動的なイメージ。

 オタク趣味に置き換えてみれば、時代の変化にたいしてアンテナをはり、知識と感性をアップデートし続ける...みたいな感じでしょうか?表現と時代との関係性を見失うと「昔のアニメは良かった」しか言わない懐古厨になっちゃうよ、というような。

 

                     ◯

 

 そして、第12話では智音から六花に物語のバトンが戻り、六花と勇太もまた、少しずつ変化していく自分たちの関係性を受け入れます。

 とりあえずは中二病の道を突き進む智音と、中二病と恋愛、どちらも諦めない六花。それぞれの選択を祝福した結末でした。

 

(2020年3月追記:智音のいう「変わらないために変わる」って、本来的な意味での「保守」の思想なんですよね。それに対して、変化を全面的に受け入れる六花は「革新」で、つまり『中二恋・戀』は「保守」と「革新」が、それぞれどのように「恋=変化」に対応するか...を描いた物語だった、と。最初からこういう風に書いとけば話が早かったのだ...)

 

※感想その2→「連関天則」の意味するもの 

 

*1:「変化」というテーマを恋愛に託した京アニ作品としては『たまこラブストーリー』があって、この作品でたまこが経験する「恋愛」は、作中でさまざまなキャラクターが直面するさまざまな「変化」のうちのバリエーションのひとつ...みたいな描かれ方でした。→ 拡散と凝縮 ~ たまこラブストーリー 感想 

*2:原作小説では第1巻の時点で登場。

*3:「虚構と現実」「日常と非日常」の融合への志向。関連記事→『無彩限のファントム・ワールド』と、10年代京アニの現在地点

*4:関連記事→ 『響け!ユーフォニアム』 第12回で描かれる「鏡」としての他者