ねざめ堂

アニメ・映画・音楽

「連関天則」の意味するもの 〜『中二病でも恋がしたい!戀』感想②

f:id:tentofour:20130117032752j:plain

 

 このあいだアクセス解析を眺めていたら、「連関天則」のキーワード検索経由でこのブログを覗いてくれる方が時折いるらしいことに気づきました。

 「連関天則」は『中二病でも恋がしたい!戀』のキャラクター、七宮智音が何度か口にする中二用語で、作品を理解するうえで重要なキーワード。私も放映中「?」ってなってググりましたよ。

 この記事(「好き」を続けていくために 〜 中二病でも恋がしたい!戀 感想 )の中で、このワードに触れているのが検索にひっかかるみたいで、こんな辺境ブログまで来てくださってありがたいんですが、でもあらためて自分で記事を読み返してみると、直接的に「連関天則」に触れている部分は少しだけ。

 そこで、「作品のキーワードなんだから、もっと詳しく書いておくべきだったかなぁ」という心残りの清算とか、「あれ?このへんって隙間産業的に需要ある?」というスケベ心なんかもありつつ、「連関天則」の解釈をメインにした記事を書いてみました。作品のネタバレを含みますので、ご注意ください。

 

◯前提

 †連関天則†は、智音が勝手に作った中二用語のようです。「連関」の意味は「関連」とほぼイコールで、つながりがあること、かかわりあいがあること。「天測」はgoo辞書先生によれば「自然の法則」。

 なので、字面だけで解釈すると「つながりの法則」。「中二病」をずっと続けていくには?という文脈の中でこの用語がもち出されることを考慮すれば、「連関天則」は、

 「ある物事を継続していくために、のっとるべき法則

 という感じの意味だと考えられます。この場合、「ある物事」はもちろん「中二病」を意味します。

 では「続いて欲しい、続けていきたい」と願った事を実際に続けていくためには、具体的にはどのような法則にのっとらなければならないのか?

 『戀』を通して、智音のなかでこの「法則」の中身、意味するところは更新されます。初期の「連関天則」と、最終回時点でのそれは意味合いが変化していて、その変化が、そのまま智音というキャラクターの成長を表している、というドラマ作りになっていました。

 つまり「連関天則」には「旧」・「新」の2バージョンがあった。ということで、この2種類の「連関天則」がそれぞれどんなものだったのかを見てみたいと思います。

 

◯旧・連関天則

 まずは中学時代の智音が提唱していたオリジナル「旧・連関連則」ですが、これはいわば「瞬間冷凍パック」です。ある物事をずっと続けていくには、一切の変化を排除して、一番良いときのままの形にとどめておかなければならない、という考え。

 博物館や美術館の収蔵品をイメージしてもらっても良いかもしれません。いかに今の状態をキープするか?というベクトル。

 中学時代の智音が勇太に黙って転校していったのは、このような発想からでした。別れを口にさえしなければ、自分の中では別れは訪れない。別れる前の楽しかったころの状態を「自分の心の中では」キープすることができる。

 「別れの言葉を口にすると、その瞬間、それは別れになるんだよ。(…)口にしない限り、別れじゃないんだよ。それが世界の理、"連関天則" だよ。(…)私は未来永劫、変わらないよ」(第3話)

  最終回は見ないから、俺の中では『ごちうさ』は終わらないんだ!(白目)的発言。

 それだけ勇太との別れが辛かったんだなあ…という切なさもありつつ、でも、これって無理があるんですよね。自分が内面的に変化を凍結しても、外の世界はたえず動き続けているわけで。実際、智音が高校生になった勇太と再会したら、勇太には彼女ができていて、しかもその彼女は、自分と同じような中二病患者。

 六花は智音にとっての、智音は六花にとっての、「中二病と恋愛、ふたつの価値観の両立を目指すかどうか」というポイントでルート分岐した「if」的な存在。なので、勇太と六花の関係を見ているうちに「こういう未来もあったのかもしれない」ことに思い至り、変化を凍結させることで得ていた智音の安定は揺らいでしまう。

 

 ◯新・連関天測

 それにたいして、第11話で智音が到達したニューバージョン、「新・連関天則」は、「物事の本質を守っていくためには、ある部分では変化を受け入れなければならない」というもの。

「私は変わらない。未来永劫、魔法魔王少女なんだよ。だから変わらないという名のもとに、溜まっていたものを破壊し、変わらないために強く大きく変わる闘いが必要だったんだよ」(第11話)

 わかるような、わからないような...?

 この発想を具体的に理解するうえで参考になるのが、批評家・東浩紀の先日の一連のツイートです。

 

 「(…)サブカルチャー(日本での用法の)とハイカルチャーの違いって、内容じゃなくて要は受容者の年代的持続性だと思うわけ。」

「年代的持続性というのはぼくがいま編み出した言葉wなんだけど、要は、「20代のときに好きなジャンルのものを30代40代50代になっても好きで興味の対象を更新できるか」ってこと。サブカルはじつはこの持続性が決定的に弱い。40歳でオタクとか言っても、好きなものは20代のときに見たアニメだったりする。」

「それで、同じことは残念ながら思想でも起きていて、60代はいつまでも吉本隆明だし50代はいつまでも柄谷行人ニューアカ。多くのひとが「若いころ読んだオレ的に最高なもの」に執着し変わらない。つまり日本では思想がサブカルと同じ構造で消費されているわけだ。これはやっぱり改善の必要がある。」

(2014年6月6日)

 

  「連関天則」に即していえば、時代や状況の変化を無視して「オレ的に最高なもの」にずっと執着してしまうのが「旧」で、そこを脱却して興味の対象を更新しながら、自分の好きなジャンルにたいする「年代的持続性」を高めようとするのが「新」。

 さすがに説明が上手いというか、以前『中二恋・戀』の記事を書く前にこの発言をしていてくれれば、あの文章ももうちょっとスッキリ書けたのに…という自分勝手な感想はさて置き、その記事の中で、私はこんなふうに書いていました。

 オタクであることを楽しみ続けるためには、時代の変化にたいしてアンテナをはり、知識と感性をアップデートし続ける、みたいな感じでしょうか?時代との関係性を見失うと、「昔のアニメは良かった」しか言わない懐古厨になっちゃうよ、というような。

 

◯オレ(智音)的に最高なもの

 さて、智音にとっての「オレ的に最高なもの」は、中学生のときに「勇太(勇者)とともに追いかけたバージョンの中二的虚構世界」でした。彼女は長いこと、それに執着していた。

「やっとわかったの、私が戦うべき相手、戦わなきゃいけない敵が。それは勇者と想い、勇者と追いかけ、勇者と諦めた暗炎龍。それが私の戦わなきゃいけない敵、決着をつけないといけない相手!」(第11話)

 それを象徴する「暗炎龍」と戦い、いったん葬ることで、智音のなかの中二的虚構世界はバージョンアップされ、彼女はこれからも変わらずに中二病を楽しむことができる。過去に経験した「オレ的に最高なもの」への執着を捨てることで、「中二病を楽しむ」という本質の部分を守ることができたわけです。

 もちろんそれは、過去に出会った素晴らしいものを否定することではありません。こんな例え方もできるでしょう。さっき博物館や美術館の収蔵品の例えを出しましたが、保存する対象が「モノ」であれば、そのような変化をシャットアウトする態度が有効です。

 でも、落語や歌舞伎、オペラなどの、古くから伝わる「芸能」が昔のままの「型」をキープしようとするだけでは、変化していく時代から取り残されて、やがては消えてしまう。

 そこで、その時代ごとの影響を取り入れた新たな試みが(時に内側からの批判を浴びながらも)伝統のなかに組み込まれて、少しずつバージョンアップしながら現代まで生き残ってきた、という経緯。これも「新・連関天測」的試みです。

 

◯むすび

 「連関天則」は「ある物事を継続していくために、のっとるべき法則。その法則には2種類あって、

・旧…変化を排除し、物事を「瞬間冷凍」することで守りつづけようとする。

・新…変化を受け入れることで、逆に物事の本質的な部分を守ろうとする。

 両者の大きな違いは、他者、社会、時代などの「外部」へ意識が向いているか。そして、「外部」の変化が不回避であるという事実を受け入れているか。

 以上が、「連関天則」の当ブログなりの解釈でした。