(雑感想)『リコリス・リコイル』最終回での千束と真島の缶ジュース回し飲みだけど
あれはシンプルに「同じジュースを飲んでも味への感想は違う」=「世界の捉え方や正義への考え方は人それぞれ」ということを表すアナロジカルな演出にすぎないのであってだからあんなことでちさたきはこれっぽっちも揺るいだりしないんですよ!!!!
(タイトルからここまで一息)
まあ百合解釈なんて人それぞれで良いですけど、そんなことより『リコリス・リコイル』めちゃくちゃ面白かったです。
こんなに見事な上昇カーブを描きながら最終回にむけて盛りあがっていくシリーズもの観たのいつ以来だ!?
と嬉しくなりながら、毎週ワクワクさせてもらいました。
このアニメ、ストーリーの盛り上がりを作りだすうえで、ダブルヒロイン構成をすごく上手に活かしてるんですよね。
まず、シリーズ前半では「たきなが千束と出会い、変わっていく物語」が描かれる。
影のあるキャラクター(たきな)が、前向きなキャラクター(千束)との関わりのなかで人間味を引きだされていく、という『リーサル・ウェポン』型のドラマ。
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バディ物としてガッチガチに手堅いパターンで、この時点で視聴者が視点を同化させやすいキャラクターは、たきなだと思います。
(「喫茶リコリコ」という未知の共同体に、視聴者とともに入っていくのは、たきなの役割ですよね。初見の視聴者にとっての視点キャラクター。)
やがて中盤以降では、「では前向きな千束は、なぜそのような人物になったのか」というドラマが明かされていく。
初期は非常に安定して見えた(ゆえに、あまり物語をもっていないキャラクターにも見えた)千束に、ドラマの焦点が移る。
このあたりを観た後だと、前半の千束の何気ない言動もいちいち意味や重みが変わってきます。飄々として見えていた千束が、ドラマチックなキャラクターに変貌する。
こんな感じで、前半はたきなのドラマ、中盤以降は千束のドラマ・・・という具合に、ふたりのヒロインに交互に・かつ周到にドラマ性が充填されていくんですよね。
そしてクライマックスでは、満タンになった「ダブルヒロイン」という名のツインエンジンが同時に火を噴くぜ! という構成。
・・・と、いまはヒロインのふたりに話をしぼりましたけど、実際には、電波塔ジャックとかリコリスの存在暴露なんかのサスペンスフルなイベントに、「真島×千束」「吉松×千束」「ミカ×吉松」etc.の関係性が絡みあいつつ展開されていくわけで。
ラスト3話ぐらいは「おい、この物語いくつエンジン積んでるんだよ」状態になっておりました。
なおかつ、それら全ての中心にいるのはクソデカ感情発生装置としての千束なので、ストーリーが空中分解することはないという。う、上手い・・・。
あと、「エモいけど湿っぽくならない」作品全体の雰囲気もあまりにもツボでした。
ここは視聴者の涙を誘えるところでは? というエモいシチュエーションで、でもキャラの言動がカラッとしてるんですよね。
観てるこっちとしては、そのカラッとした感じが逆にグッとくるという、昔の良質なバディもの映画に通じる雰囲気があるんすよ。はー好き・・・。
(昔のバディもの↓)
バディといえば、さっき「ちさたき」を強調してみたけど、実際にはこの二人、お互いに向けてる好意の大きさや質が食い違っていそうなところも生っぽくて良かったです。
そもそも「バランス」のとれた人間関係なんてあるはずもなくて、どこかにかならずデコボコとした不均衡な部分があるもの(なあ真島君?)。
ちさたきに限らす、喫茶リコリコという共同体は、お互いの間に隙間(秘密)があるものとして描かれてるんですよね。
どんなに親密な関係だろうと、お互いがすべてを知ったり分かりあったりする必要はない、という描き方も非常に好みでした。いまどきのアニメだなあ、という感じ。
などなど無軌道に書き散らしましたけど、ようはSNSをやっていない私が、ひとこと「リコリコ面白かったよね!」とつぶやいておきたかった、というそれだけの記事です。
世の中で盛りあがっている作品についていけずにポツーン、となることも多い人間なので、めずらしくビッグウェーブに乗ることができて素直に楽しい3か月でした。