読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ねざめ堂

アニメ・映画・音楽

『たまこまーけっと』を振り返る 第10話

f:id:tentofour:20090426072818j:plain

 『たまこまーけっと』シリーズ通してのネタバレがありますので、ご注意ください。

 

◯第10話『あの子のバトンに花が咲く』

脚本:横手美智子
絵コンテ・演出:小川太一
作画監督:丸木宣明

  

 第3話『クールなあの子にあっちっち』の感想と被ってしまいますが、第3話と今回の第10話は「対」になっているエピソードで、ともに

 

「共同体の “内側” で発生したディスコミュニケーションが、共同体の “外側” にいる人物の仲立ちによって解消される」

 

 というストーリーを描いています。

 『たまこまーけっと』は、商店街・家族・友達グループといった各種「共同体」の素晴らしさを描いてはいるけれど、それと同時に、内輪だけで固まらずに外側との交流が確保される必要があるよ…という「共同体の風通しの良さ」の描写にもこだわった作品でした。

 だから、商店街には外から色々な人が入ってきたり、出て行ったりするし(史織、さゆり、柚季、デラ、チョイ、メチャ)、たまこたちの友達グループも「たまこ・みどり・かんな」の3人娘(バトン部・ひらがな3文字名前の ”同質” グループ)に、ちょっと “異質” な史織(バドミントン部・漢字名前)が途中から合流する…というメンバー構成になっている。

 第3話と第10話は、このたまこたち友達グループの「内側と外側」の関係性に焦点をあてたエピソードでした。第3話では「クラス」、第10話では「部活」という共同体の「内側」でのコミュニケーション不全がそれぞれ描かれます。

 

・第3話…同じクラスのたまこに「ありがとう」が言えない史織
・第10話…同じ部活のたまこに「たすけて!」が言えないみどり

 

 第3話では史織が、第10話ではみどりが、ともに悶々とします。どちらの話も小川太一が絵コンテ・演出を担当しており、演出的に重ねられたシーンがあるところからも、両エピソードの関連が見て取れます。

 

f:id:tentofour:20150320010624j:plainf:id:tentofour:20150320010636j:plain

(左・第3話 右・第10話)

 

 そんな煩悶を偶然目にするのが、第3話ではみどり、第10話では史織、という立場の逆転。

 

f:id:tentofour:20150320010733j:plainf:id:tentofour:20150320010737j:plain

(左・第3話 右・第10話)

 

 

◯共同体の「内と外」

 

 このように、第3話と第10話は、クラス・部活といった共同体の「内側」で精神的に孤立するキャラクターの煩悶に気付くのが、その共同体の「外側」にいるキャラクター、という共通の構図を備えています。

 以前の感想にも載せた図ですが、第3話・第10話のキャラクターのポジションを図にすると、こんな感じ。

 

f:id:tentofour:20150316180554j:plainf:id:tentofour:20150313231317j:plain

 


 第3話の冒頭、クラス替えで一人はぐれてしまったみどりと、第10話で一人だけ違う部活に所属している史織。

 でも、第3話のみどりはそれでもたまこたちとの繋がりをキープしていて、ディスコミュニケーションに悩まされるのは、同じクラスに所属する史織のほう。

 第10話も同様に、同じ部活に所属するみどりとたまこたちの精神的な距離が開く一方で、部活の違う史織は、たまこたちとの繋がりをキープしています。

 

 

f:id:tentofour:20150313230517j:plainf:id:tentofour:20150313230307j:plain

 

 そして、第3話では共同体の「外側」にいるみどりが、第10話では「外側」にいる史織がキーパーソンになって、たまこたちグループ内のコミュニケーションが回復していく。

 仲の良い共同体の「内側」で支えあう、というのとはまた違った「ちょっと距離があるからこそ気付けること」みたいな関係性が、ふたつのエピソードをまたいで描かれています*1

 このあたりは、がっちりと密度の濃いバンド共同体を描いた『けいおん!』とはやや異なる趣ですね。キャラクターの関係性が共同体の「枠」をまたいだ緩やかなものにシフトしていて、この路線は『響け!ユーフォニアム』でより突き詰められていくことになります*2

 

 

◯むすび:ジャンプカットの多用について

 

 今回は第3話との関連の話に終始してしまいましたが、最後に第10話単体についてちょっとだけ。

 第10話で演出的に目につくのは、なんといってもジャンプカット(Wikipedia)の多用。ジャンプカットは第1話のアバンから登場していて、『たまこまーけっと』ではよく使われるテクニック。「”うさぎ” だからジャンプなのかな」という意見をネットで見かけて「なるほど~!」と思ったんだけど、そういう遊び心から頻繁に使われているという面はあるかもしれないですね。

 でもこの第10話、いつにもましてジャンプカットの登場頻度が高いです。厳密に数えたわけじゃないけど、20回ぐらいはあったような。

f:id:tentofour:20151130232321g:plain

 gifわかりにくかったらすみません。みどりが抱きしめているクマのぬいぐるみは、たまこからのプレゼント?

 第10話は学園祭の準備期間が物語の背景になっていて、もち蔵も自主制作の映画を撮影したりしているので、そのあたりにひっかけて「映画っぽいテクニック」としてたくさん使われているのかもしれないですね。

 でも、クライマックスでみどりが泣くシーンに登場したジャンプカットには、遊び心に留まらない意味があったと思います。

f:id:tentofour:20151130232533g:plain

f:id:tentofour:20151130232626g:plain

 キャラクターが泣くシーンは、作品の受け手の感情移入を誘うことのできる山場になり得るんだけど、そこにジャンプカットが挿入される。ジャンプカットは、画面のなかの時間の流れにあえて「不自然さ」を導入する手法でもあって*3、これを見た受け手は、ちょっと我にかえる。キャラクターとのあいだに「距離」がキープされる。

 つまりこのシーンで目指されているのは、受け手を「みどりの立場に感情移入させて、一緒に泣かせる」ことではなくて、「泣いているみどりや、それを見て慌てる周囲の子たちを、ちょっと離れた位置から “よしよし” と見守る」ポジョションに立たせることなのではないかなー、と。

 受け手の心理をそういうポジションに持っていく効果が、このジャンプカットにはあったと思います。これを物語から浮かせないために、そこまでのジャンプカットの積み上げがあった?

 こういうキャラクターとの潔癖な「距離感」というか、すごくキャラクターに寄り添った姿勢で作品を作っているんだけど、それを表現するときに「やや距離をおいた地点から暖かく見守る」感覚をだしてくるあたりは、すごく山田尚子監督作品!という感じがしました。じつはキャラクターにベッタリの表現ではないところが*4

 第10話の絵コンテ・演出は小川太一だったけど、そういった「抑え」の感覚とか、膝会話とか、女の子のかわいい仕草なんかも含めて、なにかと山田尚子リスペクトを感じさせる一話でした。

 あと、初登場の元部長がかわいい!クジ運悪くて、ちょっと頼りなくて、下級生に「しっかりしてくださいよー」とか言われても澄まし顔でぬるっとかわしそうな、天然なのか計算なのか判別不能なミステリアスさ。もっと登場してほしかったなー。

f:id:tentofour:20151130233030g:plain

◯おまけ:今回のベストショット

f:id:tentofour:20151130233306g:plain

(山田監督に)影響されるという意味でいうと、わたし、京都アニメーションに入社する前はもっと潔癖だったんです。女性らしい女性が好き、みたいな。「鼻水なんてもってのほか!自分の好きなキャラに鼻水を垂らすなんて!」とか。山田さんが描く女の子は鼻水垂らすじゃないですか(笑)

 

キャラクターデザイン 堀口悠紀子インタビュー 『Cut』2013年2月号

 

  かわいいです!

 

f:id:tentofour:20150106193838j:plain

 

*1:もちろん、素直に「クラスや部活といったオフィシャルな共同体の枠をまたいだ繋がり」の話でもあります。

*2:関連記事 → 『響け!ユーフォニアム』キャラクターのネーミングについて 

*3:一説によればジャンプカットを発明したのは『勝手にしやがれ』のゴダールですが、初期のこの人は、キャラクターが観客に向けて話しかけたり、「スタート!」の声がかかる前の演技していない俳優の映像を映画に入れこんでしまったり、といったメタ演出(「これは映画だ」ということを観客に意識させ「物語」への没入を妨害するような演出)をやりまくっていました。リニアな「物語性」を中心に映画をまとめることへの、露骨なまでの関心のなさが気持ちいいです。

*4:キャラクターとの距離感について → 『ハナヤマタ』と『けいおん!』、演出の視点について