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ねざめ堂

アニメ・映画・音楽

「内」と「外」 ~『ハナヤマタ』と『けいおん!』、演出の視点について

アニメ ハナヤマタ けいおん! 京都アニメーション

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 先日放映が開始された『ハナヤマタ』。

 きらら系原作、シリーズ構成が吉田玲子、そして冒頭いきなり『けいおん!』まんまのシチュエーションでの演奏シーンをぶっこんできたということで、「おっ攻めの姿勢!」と軽くのけぞったんですが、このあたりについては、いつも読ませて頂いているブログでも触れられておりました。

 

 ハナヤマタ/感想/第1話「シャル・ウィ・ダンス?」(ネタバレ注意):ランゲージダイアリー

 

 『けいおん!』の更に向こうへ。『ハナヤマタ』第1話が素晴らしかった! やまなしなひび-Diary SIDE-

 

  さすがです...。ストーリーの方向性や、あるいはアフターけいおん!けいおん!オルタナティヴとしての位置づけに関して、当ブログで書いても敵わないことはわかっているので(笑)、今回は作品の演出方針について、『けいおん!』との対比を通して思ったことを書いてみたいと思います。

 『ハナヤマタ』第1話のネタバレがありますのでご注意ください。

 

                      ◯

 

 ぜんぜん詳しくないのですが、「きらら系」と一口にいっても、日常系だけでなくファンタジーやSFなど、けっこう幅があるそうなんですね。そういえば『ごちうさ』も童話、児童文学テイスト。

 それでやっぱり、あの『けいおん!』な演奏シーンは「『けいおん!』とは違うことをやるよ!」宣言でした。

 『けいおん!』(1期)が「いまの日常、よくみれば充分楽しいじゃん」という、すでに手にしている日常の中に輝きを「発見」していく路線だとすれば、『ハナヤマタ』は第1話を見る限りでは「どうしても ”今” が惨めで、なんとかして輝きたい!」という自己実現路線。より非リア充寄りの物語、といっても良いかもしれません。

 そういう両作のテーマの違いが演出の姿勢にも表れていて、似たシチュエーションを描いていたからこそ、よけいに差が際だって面白かったです。

 大雑把にいうと、『ハナヤマタ』は主人公の「内面」(という言葉を使ってしまう)に寄り添った演出なのに対して、『けいおん!』は主人公たちを「外側」から見守っているような演出方針がとられていて、ひいてはこの視点の差は「ストーリーアニメ」と「日常系アニメ」という、両作品の違いにもつながっている。

 まずは、『ハナヤマタ』の演出について見てみたいと思います。

 

 ◯主人公の主観が反映された『ハナヤマタ』の映像

 

 もう、アバンの幻想的なシーンからキラキラと眩しい映像で、「おお!」と感嘆。

 ハナとなるが手に手をとって踊るバックで、半分の月が水面に映って満月になっている。実像と鏡像が合わさって、ひとつのものを形作る。そして花火の一瞬の輝き。この作品のコアの部分を抽出した映像なんでしょうか?

 童話ベースのファンタジー要素も入っていそうな作品なので、こういった非日常的イメージのシーンの思いきり華やかな演出は、素直にすごい!と思いました。

 ただ、OPが終わって日常シーンになっても、依然として画面がキラッキラのままで、最初は正直「これ、ちょっとやりすぎなんじゃないか?」と。

 キラキラフィルターが駆使された映像で、すごくキレイなんだけど、ずっとこれが続くようだとメリハリがなくてちょっとしんどい。マッドハウスってゴージャスな映像が素晴らしいですけど、それにしても、なんでもない日常シーンでこれは極端に感じました。カラオケでいえば、つねにMAXでエコーがかけられっぱなしの状態というか。

 でも、話が進むうちにわかってくるのは、このゴージャスな映像が主人公・なるの主観の反映だということ。なるは「やさぐれてないキョン(『ハルヒ』)」という感じの主人公に見えました。

 キョンは昔持っていた「特別なもの」への憧れを捨てて、その反動で「世の中そんなもんさ」というニヒルでモノトーンな日常を生きていたわけですが、一方なるは平凡な自分へのコンプレックスの裏返しと、ファンタジー趣味の影響(=まだキョンのようには特別なものへの憧れを捨てていない)で、周囲のもの全てが自分よりもキラキラと輝いてみえる。

 この「やさぐれてなさ」のフィクション的な説得力については、中学生という年齢設定が効いてますね。性別も含めてキョンを反転させたようなキャラクターで、その彼女の主観が反映されたのが、あの「これでもか!」というぐらい美麗な画面作り。やりすぎにも見えた映像には、ちゃんと理由があった。

 京アニの『氷菓』は画面が非常に精密に描き込まれていたアニメですが、色づかいや派手なエフェクト類の使用はむしろ控え目の渋い画面作りで、それは「奉太郎たちから見た世界はそこまでキラキラしていないから」という演出でした。武本康弘監督から「フィルターは最終回で解放するので、それまでは抑えてください」という指示がスタッフにおりていたそう。

(これについてはBDのコメンタリーでも言及されていましたが、こちらの第22話のスタッフコメントでも触れられています。→ 古典部の取材記録 - TVアニメ「氷菓」京アニサイト | 京都アニメーション

 それとは正反対のベクトルの演出なんですけど、でもその美麗さが、裏返し的になるのコンプレックスの表現にもなっているという「ねじれ」が面白かった。世界がキレイであればあるほど憂鬱という、こういう倒錯はグッときます。

 だから友達のバンドの演奏を見学する『けいおん!』なシーンも、あんなに派手だったんですね。まるでプロモーションビデオのような早いカットつなぎに、炸裂するハレーション。あくまで練習シーンなのに、『けいおん!』クライマックスの学園祭ライブよりもよっぽど華やかな演出。

 なるの目線から見たバンドのメンバーたちは、自分の「やりたいこと」を見つけて、それに向かっている憧れの存在なので、彼女の目から見えたらそのぐらいに見えるんだよ、という表現でした。

 

◯「外」から目線で等身大な『けいおん!』の映像

 

いっぽう『けいおん!』ですが、この作品の演出について、山田尚子監督はこんな事を言っています。

 

「『けいおん!』は演出するにあたって、あの子たちのドキュメンタリーを撮るような気分で臨んでいるんです」(『映画けいおん!』劇場用パンフレット)

 

 ドキュメンタリー的。つまりキャラクターの内面に踏み込んで、それをダイレクトに演出に反映させるというよりも、一歩ひいた場所から見守っている感じの演出。

 とくにこれを強く感じたのは、キャラクターたちが泣くシーンの扱いです。『けいおん!!』(2期)の第20話、学園祭ライブ終了後は卒業する3年生組だけが泣いて、在校生の梓は泣かない。反対に第24話の卒業式後は、梓だけが泣く。卒業組は、その時点ではもう吹っ切れちゃってるんですね。

 ライブ後の泣くシーンは原作にはないアニメのオリジナルなんですが、ここで思い切り留保なく視聴者を感動させようとしたら、メンバー全員で「うわーん!」と泣かせるはず。でもそこで、立場の違いによるキャラクター間の距離を出してくる。

 これはほんとにドキュメンタリー的演出だと思いました。キャラクターを、ストーリーを盛り上げるための「駒」に使うのではなくて、「この時点では、梓はまだピンと来ていないだろう」という判断。そして、泣いているシーンも意外と引きの画が多いんですね。泣いているメンバー達をちょっと離れたところから「よしよし」と見守る感じ。

 なので映像面でも、主人公のなると一体化して、彼女の見る世界を描き出した『ハナヤマタ』(第1話)とは異なり、『けいおん!』の映像はあくまで「外からみた主人公たち」を映し出した、抑制のきいた、ある種地味とすら言えるものです。

 さきほども触れた1期クライマックスの学園祭ライブ(第12話)も、キャラクターたちの動きはさすがのレベルなんですが(フレットを押さえる指の動き!)、照明などはあくまでも「学園祭のステージ」という現実的な制約に沿って設定されています。…と書いてから今いちおう確認したら、照明効果はゼロ。しらっと明るいステージで演奏してます。本編最終回なのに…

 これはこれで、『ハナヤマタ』とは逆ベクトルでやりすぎだろう!という気がするぐらい、地味な演出方針。カメラワークも固定アングルが中心で、じっくりと彼女たちの姿を捉える感じ。カットの切り替えもゆっくりしたペースです(2期の学園祭ライブはもうちょっと華やかだけど、それでも『ハナヤマタ』に比べれば全然地味)。

 つまり、作画は凄いけど、演出的には彼女たちをミュージシャンのように華やかに見せることを全然目指していない。あくまで「等身大の高校生バンドのライブ」。ミュージシャンのプロモーションビデオというよりは、どちらかといえば、保護者が自分の子供の姿をホ-ムビデオに残そうとしているような映像です。

 

◯「内」と「外」

 

 キャラクターの「内」から見るか「外」から見守るか、という視点の違い。これは転じて「ストーリーアニメ」と「日常系アニメ」の視点の違い、という言い方もできます*1。このブログ的にいえば「線的な物語/面的な物語」。

 (関連記事 線的な物語/面的な物語  

  「ストーリーアニメ」は一般に「”求めるもの” を持った主人公が、それに向かっていく姿を中心に物語がまとめられる」構造になっていて、これは主人公の「内面」に寄り添った『ハナヤマタ』の演出方針と一致します。「輝きたい」という「求めるもの」をもった主人公が、その目標にむかっていく物語。

 いっぽう「外」から登場人物たちを見守るような演出の『けいおん!』は、「作品で設定されたさまざまな要素(キャラ、季節、イベントetc…)を組み合わせながらエピソードを展開していく」という「日常系アニメ」型ストーリー。

 もちろん『けいおん!』は「日常系アニメ」のなかではストーリー性の強い作品で、主人公の唯は、『ハナヤマタ』のなると同様に「夢中になれること」を「求めて」おり、それを獲得するという「ストーリー」が描かれています。

 でも唯は、たまたま入った軽音部が自分にとって掛け替えのない場所だということを、事後的に「発見」する。『けいおん!』では、今自分のいる場所がすでに素晴らしい場所だった、という『青い鳥』的「発見」が強調されます。そしてその輝きを具体的に描き、積み重ねていくのが各エピソード。

 同じように充実を求める物語でも、すでに自分の周囲にある「輝き」を「発見」していく方向性ならば「日常系アニメ」の形式が、どうしても現状に満たされずに、「輝き」に向かっていくことで「今」を充実させようとする方向性ならば「ストーリーアニメ」の形式が適している、ということだと思います。どちらも、普遍的なテーマですね。

 

◯むすび

 

 第1話クライマックスで、はっきり主人公の口から「求めるもの」が提示された『ハナヤマタ』。ストーリーアニメの王道スタートでした。ディズニーアニメでは、物語の冒頭、ヒロインが「求めるもの」(王子様、自由、自立…)を歌い上げるのがお約束ですが、もうそれぐらいの勢いです。

 コンプレックスまみれで自分に自信がもてず、周囲がキラキラに見えて仕方ないという「やさぐれてないキョン」的主人公のなるが、ハルヒ的に強引なハナに引っぱられて、新しい世界へと足を踏み出す。オーソドックスだけどツボを押さえた展開で、好感触でした。

 個人的には、なる目線ではあんなにキラキラにみえた、ハナをはじめとした周囲の人たちだって、そんなに上手くいってるばかりじゃないよ、というあたりをどう描いていくのかに注目。

 そして、あんなに引っ込み思案ななるが、いずれアバンのような全開の笑顔で踊れる時がくる(はず)、というのは胸熱。続きが楽しみです。

 

 

*1:もちろん、ストーリー重視型であっても、あえて主人公の内面を一切説明しない作品もありますが。とくに実写映画など。アニメならもちろん『風立ちぬ』。