『10 クローバーフィールド・レーン』雑感
劇場公開時に見逃していた『10 クローバーフィールド・レーン』(2016年)をようやく観たので(面白かった〜)、感想というか、この映画にまつわる雑感です。
傑作だった前作『クローバーフィールド』(2008年)は、「疑似ドキュメンタリー形式で作られた怪獣映画」というのが売りになっていて、怪獣のニューヨーク侵略が、一般市民のホームビデオで撮影された映像によって語られていく映画でした。
災害映画や怪獣映画みたいに社会の大規模な破壊が描かれる映画では、全体の状況を俯瞰するように複数の視点から物語が進められていくことも多いんだけど(去年の『シン・ゴジラ』はまさにそういう映画でしたね)、『クローバーフィールド』は全編が普通の市民のいわば「一人称」に近い視点から語られているので、大局的に何が起きているのかがさっぱりわからない。
制作者は「NYを舞台にしているが、911とは関連はない」みたいなコメントも出しているんだけど、でもこの映画に表出しているのが「世の中が破滅的な方向に向かっていて、自分もその状況に含まれているのに、全体として何が起きているのかまったく把握できない」みたいな恐怖感である...ということは言えるんじゃないかなーと思います。
それで、こういう映画を観て連想するのはやっぱり、スティーヴン・スピルバーグの『宇宙戦争』(2005年)。スピルバーグ本人が「僕は『宇宙戦争』ですっかり変わってしまった」みたいなコメントをしていましたが、これは思い切り911のショックを引きずっているであろう映画でした。
War of the Worlds (2005) - Trailer
世界的トップスターであるトム・クルーズが主演に据えられているにも関わらず、平凡な一市民である主人公は宇宙人の襲来にたいしてほぼ何もできず、子供を連れてひたすら逃げ惑うのみ(トム・クルーズがまた、そういう役もすごーく上手くこなすのだ)。彼は宇宙人撃退のキーパーソンになったりすることはなく、物語は常に彼の視点に寄り添って進むので、観客には全体的な状況がまったく把握できない。
それだけでなく、トム・クルーズはわが子の命を守るために、とてもハリウッド映画の主人公とは思えないような行為に手を染めます。全体的にとても暗~いムード…もっといえば「無力感」に覆われた映画で、『クローバーフィールド』にもそういう「我々にはなにもわからん・なにもできん」という気分が蔓延していました。
そして、『10 クローバーフィールド・レーン』では、主人公の「なにもわからん」度がさらに加速しています。冒頭、交通事故に巻き込まれて気絶した女性主人公は、目覚めると地下のシェルターに軟禁されている。シェルターの持ち主の中年男があらわれて「世界は何者かの襲撃で壊滅状態で、外には出られない」と告げる。男の言葉以外の情報を持たない彼女には、それが事実なのか、それとも変態監禁男の妄言なのかが判断できない。
『クローバーフィールド』と、登場人物やストーリー上の直接的なつながりは持たない『10 クローバーフィールド・レーン』ですが、描かれている状況...「自分の置かれた状況が把握できない、という状況」はきっちりと前作よりも深化した、まさしく「続編」なんですね。
でも前作と違うのは、主人公が自分の置かれた状況をどうにか把握しよう、という方向に奮闘するところで、物語終盤には「無力感に打ちひしがれて逃げ回るのではなく、なんとか状況を把握して事態に立ち向かう」というアグレッシヴなムードが横溢しています。
これを前作からのポジティヴな変化と受けとるか、それとも単に「続編として、作劇的に前作の逆の方向性が採用された結果にすぎない」と感じるかは微妙なラインだなーと思ったりもしたんですが、扱っている内容にたいして尺が丁度良い長さにまとまっており(脚本のバランスがいい!)、最初から最後までテンションが途切れず楽しめた作品でした。
『クズの本懐』感想(後編):花火と茜・ひとりのヒロイン
今年の1~3月に放映されていたアニメ版『クズの本懐』(公式サイト)。放映中に第1~6話までの感想はアップしていたのですが、
この内容を前提としたうえで、「後編」として、シリーズ全体の感想です。今回はおもにストーリーの構成に焦点をあてた内容になっています。最終回までのネタバレありです。
◯花火と茜:極限で似る者
6話までの感想で、主人公・花火と、彼女に執着する音楽教師・茜との関係についてこんな事を書いたんですけど、
茜はもしかしたら、「幼い日の花火が ”お兄ちゃん” のような自分の世界を壊す存在に出会えなかったとしたら?」という「if(もしも)」的なキャラクターとして造形されているのかもしれません。
最終回まで観終えてみると、このふたりは思った以上に明確に、お互いの「if」として物語のなかで対置されていました。
『クズの本懐』には計6人のメインキャラクターが登場して、その関係性がどんどん錯綜していくところが見所だったわけですけど、物語のさまざまな枝葉を取り払って幹の部分だけを取り出してみると、最終的には「花火と茜の話」だった、ということが言えると思います。
続きを読む(雑記)コーネリアス新作
※この雑記は夏中に削除します。
気が付けばもう7月。こわいですね。今年の前半はアルカ、フューチャー、ダーティー・プロジェクターズと、セルフ・タイトルの傑作アルバムが立て続けにリリースされて、音楽的には楽しい日々を送っておりました(頭の悪い感想だけど、3枚ともに「ザ・その人!」っていう感じの迫力があった)。
いっぽう、おそらく「Cornelius」というアルバムは出さないだろうなーという感じがする小山田圭吾ことコーネリアスだけど、先日の『Mellow Waves』のリリースにはやっぱりおおっ!と身を乗り出してしまいました。SalyuとかMETAFIVEとかサントラとか、いろんな形でのリリースはコンスタントにあったとはいえ、ソロアルバムとしては11年ぶりだもんね...。
いまどき「アルバム」とか「ソロ名義」にこだわるのも時代遅れかもしれないけど、おっさんとしてはしみじみとしたありがた味を感じてしまうのだ。しかも中身は「11年ぶり」とかの上げ底感抜きで「ザ・コーネリアス」な大傑作。
↓深夜のコーヒー&シガレッツな映像もぐっとくるファーストシングル(監督はおなじみ辻川幸一郎)。ぜひ大きい画面で。
Cornelius - 『あなたがいるなら』"If You're Here"
アルバム特設サイト(各種MVやインタビューが観られます):Cornelius - Mellow Waves
メロウにして過激、円熟しつつフレッシュ。インタビューで本人はしきりと「加齢」を口にしてたけど、いやいや加齢臭ゼロですよ!
ーーー:最近のAOR再評価とかソフト&メロウなR&Bの流れとか、そういうものは意識しました?
小山田:うーん……なんとなく。あまり詳しくはわからないけど。
ーーー:そこらへんが絶妙というか、そういう時代の流れみたいなものに乗っかっているようで、でも実は全然違うところから来ているようでもある。そのへんの微妙なさじ加減がコーネリアスらしい。
小山田:そこらへんがちょうどいいでしょ。あんまり乗っかりすぎてるのもアレだし(笑)
ーーー:といって完全に周りの流れとは関係なくマイペースというわけでもない。
小山田:うん、そうそう。
こういうバランスなー。
以前、坂本龍一は雑誌の「ゼロ年代の10枚」企画のなかの1枚に『Sensuous』(2006年)を選んでこんなコメントをつけてたんですが、
(…)世代的にぼくたちは、日本人なのにファンク的、黒人的なグルーヴを真似しようとしてきたし、真似とはいえそれが身体にちょっと入ってるんですね。ところがコーネリアスにはそれがない。すごく平面的で、平面にポツポツと穴があいているようなリズム感。これはね、すごい。ある意味で能や歌舞伎など、和のリズムに近いんです。
坂本龍一(SWITCH 2011年12月号)
CORNELIUS - Fit Song(『Sensuous』収録)
そういう特異なリズム感とかサウンドと「歌メロ」の融合が今回は極まっていて、ほんとに素晴らしいアルバムでした。毎回話題を集めるライヴは今回はどんな感じになるんだろ?(前回のツアー↓)
CORNELIUS - FIT SONG (ULTIMATE SENSUOUS SYNCHRONIZED SHOW)