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『3月のライオン』(アニメ版)感想②:桐山零の見習い時代

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 10月から第2シリーズの放映がスタートした『3月のライオン』(公式サイト)。このアニメについては、以前当ブログで第1シリーズ前半分(第1話~第11話)の感想を書いたんですが、 

『3月のライオン』(アニメ版)感想①:「競争」と「共同体」のバランスゲーム
 

 この内容を前提としたうえで、今回は、第1シリーズ後半分(第12話~第22話)の感想です。

 ほんとはこの記事は、第2シリーズの放映が始まる前にアップしておきたかったんだけど、ぼやぼやしているうちにタイミングを逃してしまいました。まったくグズな野郎ですね。

 今回も「感想①」同様、筆者は原作マンガは未読での、アニメ版のみについての感想になってます。ネタバレありです。

 


◯作品のテーマについて

 『3月のライオン』という作品が、全体として「 “競争原理” と “共同体” のあいだで繰り広げられるバランスゲーム」を扱っているよ…ということについては、上にリンクをあげた「感想①」でしつこく書いたので、そちらを参照してください。

 この「競争と共同体」というテーマ自体は古くから繰り返し語られてきたものですが*1、00年代を過ぎて、新自由主義の弊害が一般でも取り沙汰されはじめて以降は、ますますさまざまなエンタメ作品で取りあげられるようになっています。

 「感想①」では『カーズ』『リトル・ミス・サンシャイン』といったアメリカ映画や、『Free!』『響け!ユーフォニアム』などの日本のテレビアニメーションの例をひいたうえで、『3月のライオン』も同様のテーマを扱っているよ…みたいなことを書きました。

 本作の主人公・桐山零のなかでは、ふたつの世界…「競争 = 六月町的世界」と「共同体 = 三月町的世界」とがせめぎあっています。

 彼はそのどちらを否定し切ることもできず、内側から両者に引き裂かれており、そのことが彼の苦しみをひき起している...というところで、第1シリーズの前半(第1話~第11話)は終了していました。

*1:たとえばディケンズの『クリスマス・キャロル』(1843年)は、金儲け=資本主義下の「競争」に明け暮れていた孤独な守銭奴スクルージが、友人関係や家族といった「共同体」の価値に目覚める物語です。ディケンズの作品をすべて「当時イギリスで進んでいた自由主義改革の負の側面にたいするリアクション」と一括りにするのはちょっと乱暴だけど、とくに中期までの作品には、そのような傾向が色濃くみられます。

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『10 クローバーフィールド・レーン』雑感

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劇場公開時に見逃していた『10 クローバーフィールド・レーン』(2016年)をようやく観たので(面白かった〜)、感想というか、この映画にまつわる雑感です。

傑作だった前作『クローバーフィールド』(2008年)は、「疑似ドキュメンタリー形式で作られた怪獣映画」というのが売りになっていて、怪獣のニューヨーク侵略が、一般市民のホームビデオで撮影された映像によって語られていく映画でした。

 


Cloverfield - Trailer

 

災害映画や怪獣映画みたいに社会の大規模な破壊が描かれる映画では、全体の状況を俯瞰するように複数の視点から物語が進められていくことも多いんだけど(去年の『シン・ゴジラ』はまさにそういう映画でしたね)、『クローバーフィールド』は全編が普通の市民のいわば「一人称」に近い視点から語られているので、大局的に何が起きているのかがさっぱりわからない。

制作者は「NYを舞台にしているが、911とは関連はない」みたいなコメントも出しているんだけど、でもこの映画に表出しているのが「世の中が破滅的な方向に向かっていて、自分もその状況に含まれているのに、全体として何が起きているのかまったく把握できない」みたいな恐怖感である...ということは言えるんじゃないかなーと思います。

それで、こういう映画を観て連想するのはやっぱり、スティーヴン・スピルバーグの『宇宙戦争』(2005年)。スピルバーグ本人が「僕は『宇宙戦争』ですっかり変わってしまった」みたいなコメントをしていましたが、これは思い切り911のショックを引きずっているであろう映画でした。

 


War of the Worlds (2005) - Trailer

 

世界的トップスターであるトム・クルーズが主演に据えられているにも関わらず、平凡な一市民である主人公は宇宙人の襲来にたいしてほぼ何もできず、子供を連れてひたすら逃げ惑うのみ(トム・クルーズがまた、そういう役もすごーく上手くこなすのだ)。彼は宇宙人撃退のキーパーソンになったりすることはなく、物語は常に彼の視点に寄り添って進むので、観客には全体的な状況がまったく把握できない。

それだけでなく、トム・クルーズはわが子の命を守るために、とてもハリウッド映画の主人公とは思えないような行為に手を染めます。全体的にとても暗~いムード…もっといえば「無力感」に覆われた映画で、『クローバーフィールド』にもそういう「我々にはなにもわからん・なにもできん」という気分が蔓延していました。

そして、『10 クローバーフィールド・レーン』では、主人公の「なにもわからん」度がさらに加速しています。冒頭、交通事故に巻き込まれて気絶した女性主人公は、目覚めると地下のシェルターに軟禁されている。シェルターの持ち主の中年男があらわれて「世界は何者かの襲撃で壊滅状態で、外には出られない」と告げる。男の言葉以外の情報を持たない彼女には、それが事実なのか、それとも変態監禁男の妄言なのかが判断できない。

クローバーフィールド』と、登場人物やストーリー上の直接的なつながりは持たない『10 クローバーフィールド・レーン』ですが、描かれている状況...「自分の置かれた状況が把握できない、という状況」はきっちりと前作よりも深化した、まさしく「続編」なんですね。

でも前作と違うのは、主人公が自分の置かれた状況をどうにか把握しよう、という方向に奮闘するところで、物語終盤には「無力感に打ちひしがれて逃げ回るのではなく、なんとか状況を把握して事態に立ち向かう」というアグレッシヴなムードが横溢しています。

これを前作からのポジティヴな変化と受けとるか、それとも単に「続編として、作劇的に前作の逆の方向性が採用された結果にすぎない」と感じるかは微妙なラインだなーと思ったりもしたんですが、扱っている内容にたいして尺が丁度良い長さにまとまっており(脚本のバランスがいい!)、最初から最後までテンションが途切れず楽しめた作品でした。

 

『クズの本懐』感想(後編):花火と茜・ひとりのヒロイン

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  今年の1~3月に放映されていたアニメ版『クズの本懐』(公式サイト)。放映中に第1~6話までの感想はアップしていたのですが、

『クズの本懐』感想(前編):代替可能な恋愛関係 


 この内容を前提としたうえで、「後編」として、シリーズ全体の感想です。今回はおもにストーリーの構成に焦点をあてた内容になっています。最終回までのネタバレありです。

 

◯花火と茜:極限で似る者

 6話までの感想で、主人公・花火と、彼女に執着する音楽教師・茜との関係についてこんな事を書いたんですけど、

茜はもしかしたら、「幼い日の花火が ”お兄ちゃん” のような自分の世界を壊す存在に出会えなかったとしたら?」という「if(もしも)」的なキャラクターとして造形されているのかもしれません。

 最終回まで観終えてみると、このふたりは思った以上に明確に、お互いの「if」として物語のなかで対置されていました。

 『クズの本懐』には計6人のメインキャラクターが登場して、その関係性がどんどん錯綜していくところが見所だったわけですけど、物語のさまざまな枝葉を取り払って幹の部分だけを取り出してみると、最終的には「花火と茜の話」だった、ということが言えると思います。

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