ねざめ堂

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『ふらいんぐうぃっち』をキーカラーで振り返る

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 当ブログではこのところアニメの記事がご無沙汰だったんですが、今期もいろいろと楽しく観ておりました。

 なかでも『ふらいんぐうぃっち』は、一見のほほんとしているようでその実しっかりと練り込まれたストーリー構成や、きめ細かい演出に惚れ惚れとさせられてしまった作品。今回は「キーカラー」を軸に、このアニメを振り返ってみたいと思います。

 

◯キーカラー:白・黒・赤

 『ふらいんぐうぃっち』の「テーマ的な」キーカラーはおそらく「白・黒・赤」で、この3色、ないしは「白+黒」「黒+赤」「赤+白」の2色の組み合わせが頻繁に登場します。

 「白・黒・赤」3色の組み合わせ例をいくつか挙げてみると、

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 作中何度も映し出される倉本家の軒下、真琴の横浜みやげの箱、テントウ虫、「春の運び屋」の服、最終回に登場する「ねぷた祭り」の飾りと、酔っぱらった「土魚(どんぎょ)」。

 服についていえば、主人公の真琴は第1回の初登場時と最終回の本編ラスト(エンドクレジット前)で、「白・黒・赤」を身につけており、シリーズの最初と最後で配色が共通しています*1

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  最終回の千夏も白のパジャマの上に、赤+黒の裏地のローブ姿で、初登場時の真琴と似た雰囲気の配色。

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 そして最終回の本編ラストシーンは、真琴・千夏・猫のチトとケニー・土魚・障子…など、「白・黒・赤」を基調に画面が組み立てられている。

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 それで、この「白・黒・赤」がそれぞれ何を意味しているか?ですが、当ブログではこんな仮説を立ててみました。

白:日常
黒:魔法
赤:毎日の彩り

 オープニングテーマ(編曲がセンス良い)のなかで「トッピングスパイシーな魔法で カラフルな毎日」と歌われていたり、エンディングテーマのタイトルがズバリ「日常の魔法」だったりするように、『ふらいんぐうぃっち』は「日常もの」にちょっと不思議な「魔法」のエッセンスが振りかけられた作品。

 それで、「日常」に「魔法」が加わることで、毎日がより「カラフル」になる…というのを、ストーリーだけでなく、別の階層...画面上でも表現したのが、この「白・黒・赤」の組み合わせの多用なのではないかなー、と(このアニメにおける「魔法」がオカルト的なそれだけを指しているのではない...という点については後述します)。

 

◯黒+白=赤

 上のようなことを私が思ったきっかけは、第11話『くじら、空を飛ぶ』のBパートの演出でした。

 空飛ぶくじらの背中に乗る、というAパートは『ふらいんぐうぃっち』史上もっとも「魔法」サイドに寄ったエピソードですが、続くBパートで、何食わぬ顔で「日常」サイドに戻ってくるところがこのアニメの真骨頂。倉本家のリビングで、みんなでホットケーキを焼いて食べる…というまったりとした日常シーンが繰り広げられるのですが、ここで

黒と白が交わることで、赤(≒彩り)が生まれる

 という「運動」が3回にわたって展開されます。このシーンを「ストーリー」はちょっと脇に置いて、純粋に「色彩の運動」という観点から振り返ってみましょう。

                   ◯

 まず気になるのが、リビングに入った杏子がウエストポーチの「黒」のベルトを外すカット。ここで、カメラがわざわざ彼女の手元に寄ります。ちょっと「お?」と思わせる演出ですね。こんな何気ない仕草になぜクローズアップするのか。

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 同時に、「赤」のトップスを着た真琴が部屋に入りかけてきています。ここで真琴以外の3人の着ている服が、全員モノトーン(に近い)配色であることにも注目してください(圭の下半身が見えにくいですが、黒っぽいジャージを履いています)。

 つづいて杏子の視線は、「黒猫」のチトと「白猫」のケニーに向きます。二匹はまるで時計の針のように「交わって」いる。直後、「赤いトップス」の真琴が腰を下ろすカットが挿入されます。

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 続いて、圭が「黒」のコンセントを「白」の延長コードに「接続」する。この何気ない仕草も、わざわざクローズアップ。

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 すると、それに呼応するように「赤いトップス」の茜が登場。

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 うーん、緻密な演出。ここまでの「黒+白=赤」の「運動」を整理してみると、

・黒(チト)+白(ケニー)=赤(真琴)
・黒(ベルト → ホットプレートのコード)+ 白(延長コード)=赤(茜)

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  となります。黒と白が交わったとき、空間に彩りが加わっていく。

                   ◯

 この「運動」は、圭がホットケーキを焼くシーンでもう一回繰り返されます。まず、ホットプレートの配色が「黒+白(っぽいシルバー?)」。そこに「白」い生地が流し込まれると、「赤」っぽい焦げ目が現れる。

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 「赤」じゃなくて「茶」じゃねえか!とつっこまれてしまうかもしれないですが(笑)、「茶」や「ピンク」は、色を細かく区別する必要がないときは、まとめて「赤」に括られることもある色だそうなのでご容赦ください*2。ポイントは、白と黒のモノトーンの交わりから「彩り」が生まれる…という点。

 そして、その「彩り」が、チト(黒)とケニー(白)のいる画面に加えられる。

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 …というように、計3回にわたって「黒+白=赤(≒彩り)」という「運動」が繰り広げられた第11話Bパートでした。

 

◯「魔法」について

 圭がホットケーキを焼くことで、モノトーンから「彩り」を生みだすシーンに表れているとおり、『ふらいんぐうぃっち』の「魔法」は必ずしも魔女にしか使えない特殊なものではなくて、もっと身近なちょっとした「技術」とか「工夫」、あるいは「好奇心」「アイデア」みたいなものを指していると思われます。

 空を飛べるのも、裁縫が上手いのも、ホットケーキ焼きマシーンなのも、あるいは散歩するチトの後をつけてみようという好奇心なんかも等しく「魔法」。

 「日常」にそういうちょっとした「魔法」が加わることで、毎日に「彩り」が生まれるよ…と。同じようなテーマの作品は世にたくさんあると思いますが、第11話の演出で見たとおり、『ふらいんぐうぃっち』はその表現の仕方がすごく洗練されているんですね。

                   ◯

 ところで、「赤=彩り」はいいとしても、どうして私が「黒=魔法」「白=日常」の象徴、と思ったのか?という点についてですが、第3話のカラスを呼び出す魔術の実験のとき、茜はこんなセリフを口にしていました。

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「この魔術は、女の子の黒髪でないといけないからね。だから黒くないあたしの髪じゃ意味ないの。」


 ここでさり気なく、作中における「黒=魔法」というイメージづけがされている。それで、「赤=彩り」「黒=魔法」なら、残る白は「日常」だろう…と、(私は)解釈してみたわけなのでした。

 そういう目でこのアニメを第1話からざっと振り返ってみると、ああ、青森にやってきた真琴が道端の雪に手形を押すシーンでは、雪の「白=日常」と、真琴の「黒ストッキング・黒髪」+チトさんの「黒=魔法」にはさまれて「赤」が発生してるぞ、とか(=これから描かれる青森での日常の「彩り」を先取りしたシーン)、

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 第2話の、道端に生えていたばっけからおいしい天ぷらを作るシーン(=ちょっとした「魔法」の発現)の合間に「白+黒+赤」の軒下のカットが挿入されるのは、「日常・魔法・彩り」がそろっている倉本家...という表現になっていたのかな?とか、

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 真琴が栽培している二十日大根のシーンにも「白+黒+赤」のテントウ虫いたっけな、大根は「赤」と「白」の二色あったな、とか(「二色ある」ことがセリフで強調される)、

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 いろいろ発見があって、すごいなー!と。「白+黒」「黒+赤」「赤+白」の2色組み合わせパターンはさらにたくさん登場しています(OPの監督クレジットとか)。いずれじっくり観直したいところ*3

 

◯むすび:幸福な「縁側アニメ」

 そのようにキーカラーが効果的に使われるいっぽうで、『ふらいんぐうぃっち』は「縁側」が頻繁に登場するアニメでもありました。

 多くの「(本来のオカルト・非日常的な意味での)魔法イベント」が、縁側を舞台に展開される。シンプルに「舞台として見映えがいい」という理由もあるかと思いますが、縁側は家の「内」と「外」の境目にある「境界領域」でもある。「日常」と「魔法」の出会いの場としては理想的ですね。

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 とくに第8話は、縁側で魔術の実験をする茜と、喫茶コンクルシオのサンルーム席(やはり「内」と「外」の「境界領域」)で、さまざまな「魔法サイド」のキャラクターとともにお茶をする真琴たちの様子が交互に映しだされる「縁側回」でした。

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 そして、最終回もやはり「縁側」にはじまり「縁側」で幕を閉じる「縁側回」。どちらのシーンも、白・黒・赤が効果的に散りばめられています(昼間のシーンは、チトの眠る座布団?の「赤」に注目。さらにその中から「黒」のローブが現れる)。

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  最終回は「魔女のローブは地味目が基本」という真琴の認識が変化していく様子を追ったエピソードでした。もちろん本来のオカルト的な意味に限れば、ローブは目立たない地味な色が望ましい。

 でもそれが、千夏の好きな「赤」のローブがあってもいいし、チトが気に入った「暗闇で光る」生地で作ってしまってもいいかもしれない...というように変化していく。

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 つまり、このアニメにおける「魔法」が本来のオカルト的な意味だけではなくて、「人それぞれ」のちょっとした好みとか特技、工夫や好奇心もまた「魔法」だよ…ということがあらためて提示される回。そしてラストは、真琴の「黒」も、千夏の「赤」も、チトの「暗闇で光る」もすべて「日常の魔法」として肯定するように、暗闇で「光る」「黒・白・赤」の土魚で〆。

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 続くエンドクレジットでは「ねぷた祭り」の様子が映し出されますが、「祭り」は、日常と地続きで出現する非日常的イベント。そこには、魔法サイドの住人=あの土魚もこっそり紛れ込んでいる。街全体が「縁側=境界領域」になった…というシーンで幕を閉じます。

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 この「ねぷた祭り」はおそらく、第11回で描かれた「空飛ぶくじらとの出会い」と対応した「年に数回の大イベント」です。魔法サイドの大イベント(くじら)と、人間サイドの大イベント(ねぷた)という対応関係。

 そういう大きなイベントももちろん楽しいものとして肯定的に描かれてはいるんだけど、くじらのエピソードのあとにホットケーキを焼くシーンを延々と描いていたり、ねぷた祭り本番よりもその前日にローブを作る話を優先したりと、『ふらいんぐうぃっち』がメインに描いたのはやっぱり、なんでもない日々のエピソード。

 とことん丁寧に作られた、魅力的な作品でした。

 

◯おまけ

 上の文章には組み込むことができなかったけど、『ふらいんぐうぃっち』のこういうところも魅力的だった!という蛇足。

 第6話『おかしなおかし』の圭くんのポジションが実に良かったです。

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 真琴が空飛ぶ練習をしているうしろで、黙々と草むしり。皆が魔法の実験をしている脇で、ひとり映画鑑賞。「魔法」イベントを横目に、淡々と「日常」イベントをこなしている。

 作品が「ストーリー」という1本の「線」に収束していくんじゃなくて、魅力的な「場」をつくり出して、その中で色々な人が色々なことをしている様子を描く。日常アニメのお手本のようなエピソードでした*4

 

*1:真琴というキャラクターのイメージカラーは「黄」のような気がするのですが(よく黄を着ているし、調理実習のときのエプロンも黄)、この記事では作品全体のテーマに関わるキーカラーを優先します。

*2:最終回の真琴は、日中は黒のスカート+白シャツの上にピンクのカーディガンを羽織っています。靴は赤茶。

*3:このような「色」を使った演出については、『パンチドランク・ラブ』(感想)『トウキョウソナタ』(感想) でも記事を書いているので、よろしくお願いします。

*4:関連記事→洋楽好きに「日常系アニメ」の魅力を布教してみた。