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『モンスターズ・インク』 ~システム再定義の物語

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 こんどの金・土曜日に『モンスターズ・インク』(2001年)~『モンスターズ・ユニバーシティ』(2013年)の連続放送があるそうです(終了しました)。とくに『モンスターズ・インク』は傑作なので、未見の方はぜひ!

 このアニメ、エネルギー供給システム(広くには産業システム)の改変 / 再定義の話をやってるんですが、そういう作品を3月11日に放送するというのはフジテレビ攻めてるな!と(そんな意図はないと思うけど)。

 この作品は以前にも感想を書いたので、そちらも読んでもらえると嬉しいですが、

サリーと鹿目まどか 、トム・ヨークと堀越二郎 〜『モンスターズ・インク』感想 

 今回の放送に便乗して、あらためて短めの記事を書いてみました。『モンスターズ・インク』とおなじく「システム再定義エンド」だった『魔法少女まどか☆マギカ』(2011年)との比較も少々まじえつつの、ネタバレ感想です。

 

◯前提:サリーとミノタウロス

▶︎作品の主人公のひとり、優秀な「怖がらせ屋」のサリー。巨大な体躯に、雄牛のような角。彼の外見の主要なモデルはおそらく、ギリシア神話に登場する怪物「ミノタウロス」だ。迷宮に閉じ込められ、ときおり送り込まれてくる人間の子供たちを食料として命をつなぐモンスター。

▶︎自分が生きるために、子供たちを犠牲にするミノタウロスの境遇は、『モンスターズ・インク』に登場するモンスターたちに引き継がれている。作中のモンスター世界は、人間の子供たちの悲鳴を生活インフラのエネルギー源にしており、サリーたちは、そのような搾取構造の上に成り立つ日常を享受している…という設定。

▶︎つまり『モンスターズ・インク』は、「搾取する側」と「搾取される側」との衝突を扱った物語で、この搾取 / 被搾取関係は「先進国 / 途上国」「大企業 / 下請けの中小企業」「ブラック企業 / 従業員」など、さまざまな関係に喩えることができる。

▶︎搾取される「人間の子供」を代表する女の子、ブーはアジア系の外見。この点に注目すれば(人種でのこういう括りが大雑把すぎることを承知であえていうと)『モンスターズ・インク』は、作り手の「先進国に属する我々はモンスターだ」という自己批判を含む作品だ、と見ることができる。グローバル資本主義の迷宮に閉じ込められ、送り込まれてくる子供たちを食べて生きながらえるモンスター=我々、という認識。

 

◯搾取への自覚と、システムの再定義

▶︎善良なサリーは、自らが含まれるそのような搾取構造に無自覚で、モンスターの世界を維持するために、システムの優秀な歯車として日々の仕事に精を出している。そんな彼が、ブーとの交流を深めていくうちに(自分たちが搾取する対象を、漠然としたイメージではなく、顔をもった「個」として認識することで)、現行のシステムに疑いを抱いていく。

▶︎サリーが、自分の咆哮に怯えるブーの姿を目の当たりにして「いままで “日々の仕事” として自分がやっていたことの意味」を悟るシーンはこの作品のハイライト。モニターに映る自分は、子供たちを搾取する恐ろしい「モンスター」以外の何者でもなかった。搾取構造を認識するに至ったサリーたちの活躍によって、子供の悲鳴からエネルギーを取り出すシステムはストップする。

▶︎だが、同時にそれはモンスター世界のエネルギー危機をも意味していた。ここで「笑い」が「悲鳴」に変わるエネルギー源として発見されるのは技術革新みたいなものか。「子供は恐ろしい」という迷信(あるいは、子供の搾取に疑問を持たせないための会社のプロバガンダ?)を疑い、常識の枠を踏み越えたことでもたらされたイノベーション

▶︎たとえば『マトリックス』(1999年)や『TIME /タイム』(2011年)といった作品では、搾取構造に気付いた主人公がシステムの破壊に向かうが、それだけだと破壊のあとで世界が廻らなくなる(システムの空白地帯ができるのがヤバい、というのは世界中で実証されてしまっている事態)。なので、システムの大枠はそのままに、人を不幸せにしない方向に調整しよう、というラストに辿り着いたのが『モンスターズ・インク』だった。主人公を「搾取する側」の存在として描き、システムの破壊ではなく再定義をオファーした作品。

 

◯『魔法少女まどか☆マギカ』との比較

▶︎『モンスターズ・インク』のストーリーの骨子を「システムと人(モンスター)との関わり」に焦点をしぼって取り出してみると、以下のようになる。

①搾取を前提としたシステムによって、社会(世界)が維持されている
②その不公正は是正されるべきだが、システムを全て破壊したら社会が成り立たない
③そこで、システムは存続させつつ、その方向性を再定義する

▶︎比較的後発の同パターン作品として有名なのは『魔法少女まどか☆マギカ』(2011年)。この作品では「悪役」である地球外生命体が、魔法少女たちを搾取するシステムを構築している。が、いっぽうでこのシステムは、宇宙を維持するために必要なものでもある。

▶︎最終的に主人公は、システムを破壊するのではなく、魔法少女たちが搾取されないようなあり方に上書きする、という解に辿り着く。これもまた「システム再定義エンド」のバリエーション*1

▶︎ただ『まどマギ』がシビアなのは、新しいシステム下でも、世界の歪みはひき続き現れる点、そして新システム構築のために、主人公が人間の少女としての生活を諦めなければならない、という点だった。「完璧なシステムは存在せず、必ずどこかにしわ寄せがいく」という問題意識*2

 

◯むすび

▶︎いっぽうで両作品に共通するのは、悪役が代替可能な存在として描かれているという点。『モンスターズ・インク』の悪役である社長は「3代目」で、人間の子供たちを搾取するシステムを構築したのは彼ではない。彼は既存のシステムに乗っかっただけの「彼でなくても良い」悪役だ。

▶︎社長に自慢の息子のように可愛がられていたサリーが、システムの問題点に気付かないまま4代目の社長に就任していたら、子供たちへの搾取は続いただろう。善良なサリーですら、システムのなかでは善良なままで「悪」として機能し得る。

▶︎『まどマギ』の「悪役」キュゥべえも、殺してもいくらでも替わりがいる存在として描かれる。そして彼(等)は悪意を持たず、あくまで合理的な思考の結果としてシステムを構築したに過ぎない。魔法少女たちを苦しめるのは「悪意」ではなくて「システムのあり方」で、だから『まどマギ』は「悪いキュゥべえを退治する話」ではなかった。つまりどちらの作品にも「個よりもシステムにおいて発動する悪が、より厄介なのだ」という問題意識が通底している。

▶︎このような現状認識を基盤として、そこに疑似子育てや友情、笑いやアクションを盛り込んだストーリーをたったの94分にまとめてしまった『モンスターズ・インク』。虚淵玄は「ラストがズルい」と文句を言っていたし、確かにどこにもしわ寄せがいかない新システムが完璧すぎるとか、ドアの破壊は「橋を焼く行為」だったはずなのに接着剤で復活?とか気になる点もあったけど、そこを差し引いてもやはりすごい作品だと思う。あと、何度みてもブーの可愛さに脳みそ蕩けます。 

 

*1:「魔法」(『まどマギ』)や「どこにもしわ寄せがいかない魔法のようなイノベーション」(『モンスターズ・インク」)の存在しないリアル寄りの世界で、不公正なシステムをいかに調整するか?については『サイコパス2』(感想)が踏み込んだストーリーを描いていて素晴らしかったです。

*2:逆に『モンスターズ・インク』が優れていたのは、主人公を「加害者サイド」に設定した点でした。