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『たまこまーけっと』を振り返る 第8話

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たまこまーけっと』シリーズのネタバレがありますので、ご注意ください。

 

◯第8話『ニワトリだとは言わせねぇ』

 脚本:横手美智子
 絵コンテ・演出:武本康弘
 作画監督:植野千世子


 うさぎ山商店街という「場」のあり方を、商店街の「外側」を意識させる描写を取り混ぜながら検証・相対化していくという批評的なフェイズだった第5~7話*1

 この第8話からは、ふたたび視点を商店街の内側に据えて、その魅力を語っていく「通常営業」が再開です。

 第8話の軸は2本あって、

①デラのダイエット
②チョイと商店街・学校の面々の交流

 ですが、本命は②のほうで、①を口実というかダシに使って②が促進される、という話になっていました。前回、外国から商店街にやってきたチョイと、商店街やうさぎ山高校の面々の「異文化交流」を仲立ちするのがデラさん、というポジション。

 

◯デラの役割

 デラは、もともと通信機能(=離れた場所にいる人と人とをつなぐ機能)を備えたトリでしたが、商店街にやってきて「もち」を食べ過ぎ、自身も「もち」のような体型になってからは、人と人とのあいだを直接的に「とりもつ(鳥+餅=とりもち)」ようになりました*2

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たまこ「デラちゃん、最初に会ったころとぜんぜん違うよ。焼く前と焼いた後のおもちぐらい違うからイイ感じ。」(第3話)

 

 『たまこまーけっと』では「おもち=きもち」なので*3、それを体内に取り込んだデラが、人と人のあいだをつなぐ・とりもつ役割をはたすんですね。

 これまでにデラがとりもった関係性のなかで、とくに大きかったものをあげてみると、

第3話:たまこと史織
第5話:たまこともち蔵(失敗)・みどりともち蔵(成功)
第7話:たまことチョイ

 あたり。

 第3話でたまこと史織が友達になったのは、史織に惚れて、彼女をしつこく商店街の「内側」に誘ったデラの言動がきっかけでした。

 第5話はちょっと変則的で、最初デラはもち蔵からの手紙をたまこに届けようとするのですが(=通信機としての役割)、これは失敗。感想にも書きましたが、第5話は「平和な商店街(=日常系的世界)の外側に出ると、いろいろなトラブルがある」という、『たまこまーけっと』の「メタ日常系」的な側面があらわれたエピソードで*4、通信の失敗もそのあらわれ(トラブル)のひとつとして見ることができるんじゃないかと思います。

 そのいっぽうで、平和な商店街の「外側」に出ることによって、たまこを巡る対立(トラブル)が表面化したみどりともち蔵の相互理解を深めるきっかけになったのは、「二人ともたまこのことを大事に思ってる同士なんじゃないの?」というデラの指摘。

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「お主たちから同じ香りがしたような感じがしたのだが。今はすこし波立っておるが、のちに美しく透きとおるはず。」


 『たまこラブストーリー』を予言するようなセリフです。

 そして第7話。チョイが商店街にやってきたのは「通信機」としてのデラの機能が壊れて、連絡がとれなくなったことがキッカケでした。同様の理由で、第11話ではメチャ王子も商店街に呼び込まれることになります。遠距離間の通信機能が壊れることで、直接的なリアルの交流が発生。

 このように、人と人とのあいだを「とりもつ」役割を作中で担うデラですが、きっちりとそのような物語上の役割を果たしていればいるほど、表面的な言動はダメダメになるのも「らしい」というかなんというか、良いバランスです。

 第3話では史織にがっつく姿がひたすらウザかったし、第7話では世話になっている北白川家の面々をチョイの前で悪人扱い。この第8話でもデブ化が進行して顰蹙を買う…でも、デラのダイエット作戦のおかげで、チョイは商店街や学校の人達との交流をもつきっかけができたんですね。

 

◯異文化交流

 もちを食べ過ぎて太った挙げ句に、自身ももちのような体型になったからこそ、作品のなかで、つながりをとりもつ役割を果たしていたデラ。
 ダイエットに成功してスリムになったら「とりもち」機能がなくなるんじゃないの?と思ったら、完全には元に戻らないという。

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before → after


 頭蓋骨のサイズ変わってるし。いったん「きもち」を体内に取り込んだら、もう完全に元には戻らない、という表現なんでしょうか。みどり曰く「キモいよ」。うん...。

 このデラが人と人とのあいだをとりもつキャラクターである、ということをストレートに表現したシーンが面白くて、

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 バトンといっしょに、チョイや部員たちの「あいだ」を行き交うデラ。このシーンのデラは、チョイと、うさぎ山高校バトン部員たちの交流をとりもつ「媒体」。チョイがデラとのコンビ芸を披露して、皆から拍手されるなんていうシーンもありました。

 ついでに、隣で活動中のバドミントン部の史織のところにも、部活共同体の「枠」を超えて出張。そして史織からチョイへのパス。

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 史織もチョイも、元をただせばデラが間にたってたまこと仲良くなったわけで、これは良いシーンですね。

 

◯内と外のつながり

 『たまこまーけっと』がこだわって描いている要素のひとつ、共同体の「枠」を超えた緩やかなつながり*5

 さきほどの部活のエピソードと並んで第8話で印象的だったのは、うさぎ山商店街という共同体の「内側」にある服屋と、「外側」にある古着屋の関係でした。オバハン向けの服しか置いていない服屋の主人が、たまこ達に古着屋を紹介してくれるシーン。

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「あっしのツレがやってるとこ。いってみそ。」

 

 「みそ」っていう語尾が世代を感じさせてチョベリグ

 これは余談ですが、この服屋さんと古着屋さん、顔がそっくりなので姉妹説もあり得るんだけど、自分の妹(姉?)を「ツレ」と呼ぶのがやや不自然?...というあたりを考慮すると、レズビアンのカップルという線もアリだと思うのですね。

 『たまこまーけっと』のテーマのひとつに「多様性の肯定」があって、(おそらく)トランスジェンダーである花屋の主人が商店街に溶け込んでいるのはそのあらわれのひとつなんですが、もしかするとこの服屋さんも同じ表現なのかな…?と、これもひとつの「説」として。

 
◯むすび

 うさぎ山商店街の「外側」からやってきたチョイが、商店街や学校の面々と異文化交流していく様子が描かれた第8話。

 チョイ、メチャ、さゆり、デラ、そして映画では史織と、商店街の人の出入りはけっこう激しくて、ここには、商店街の「日常」がコンクリートのような不変の固い基盤ではなくて、常に変化しながらその形を保っている、いわば動的平衡にあるものだ、という意識が感じられます。

 これは以前、北白川たまこの孤独と、その解消 という記事に載せた図なんですが(赤丸がたまこ、青丸が他キャラ)、

 

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 人間の細胞が日々入れ替わりながら全体として形を維持しているように、商店街もその成員を入れ替え、少しずつ形を変えながらながら歳月を重ねてきた、というイメージ。そして、この「変化」がダイレクトにたまこに突きつけられるのが『たまこラブストーリー』でした。

                    ◯

 その『たまこラブストーリー』で、おもちを喉につまらせて入院してしまった、たまこのおじいちゃん(副さん)。
 これは、いずれ避けがたく訪れる祖父の死という「変化」をたまこに意識させるエピソードとして機能していたのですが(もちろん同時に、かつて母の死という「変化」が訪れたときの状況をたまこに思い出させるきっかけにもなっている)、第8話、副さんがらみでとても良かったのがこのシーン。
 ダイエットを命じられたデラに、副さんがこっそりと食べ物を差し入れようとするところ。

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 難しい俯瞰のアングルから、5人のキャラクターがバラバラに動く様子を27秒ほどのワンカットで描いたゴージャスなシーン。たまこたちに気付かれないようにさり気なく動く福さんを、わざとらしくない形でみせていて演出的にも素晴らしいんですけど、デラに食べ物をあげているところを見つかったあとのセリフがまた良くて。

 「ハラが減るというのは、この世で一番辛いことだと思うがな。」

 この一言だけで、ああ、福さんもしかしたら戦時中や戦後に苦労したのかな、とこのキャラクターの背景がバッと膨らむ効果があって、どうして副さんがいつもニコニコと優しいのか、などいろいろと想像させられてしまう。内容も言い方のトーンも押し付けがましくないのに、効果的なセリフでした。

 

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*1:関連記事 『たまこまーけっと』を振り返る 第7話 

*2:関連記事 『たまこまーけっと』を振り返る 第3話 

*3:今は亡き母に憧れるたまこの心情にぐっとカメラが寄った『たまこラブストーリー』では、おもちにはもっと「母性」的な意味合いが強く付与されています。

*4:関連記事→ 「メタ日常系アニメ」あるいは「共同体アニメ」としての『たまこまーけっと』 

*5:これに関しても、第3話や第7話の感想を参照。