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『PSYCO-PASS サイコパス』 1期・2期の殺人描写の違いと「作中悪」について

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 現在放映中の『PSYCO-PASS サイコパス2』。全11話とのことなので、先日放映された第5話で前半戦終了の模様。

 毎週おもしろいな~!とかぶりつきで観てるんですけど、この2期、劇中での人の「殺され方」、暴力の描写が1期とはだいぶ違いますよね。

 1期がすごく残虐な殺人描写が多かったのにたいして、2期はあっさり、あっけらかんと人が死んでいっている印象で、これが1期と2期の描く「作中悪」の違いをよく表している。

 今回は『PSYCO-PASS サイコパス2』第1話~第5話の感想もかねて、そのあたりについて書いてみたいと思います。1期、2期のネタバレを含みますのでご注意ください。

 

◯1期で描かれた能動的な「悪」

 

 第5話までの感じでは、『サイコパス2』(以下「2期」)のメインテーマは「反=思考停止」とか「反=アパシー」でしょうか。

 1期で、公道のまん中で女性がストーカーに殴り殺されようとしているのに、周囲の人々が無反応だったことに対して、宜野座が「カカシか、こいつら」と吐き捨てるシーンがありましたけど、そのあたりをもっと掘り下げていっている印象です。

 第4話、警棒1本を持っただけの老人に大人数が対抗できないという、シビュラシステム下の市民の非力さ(カカシ性)が描かれていましたけど、この2期では、能動的な「悪意や暴力」よりも、無関心、アパシーが間接的に引きおこす / 結果的に肯定する「悪意や暴力」が描かれています。

 

                      ◯

 

 1期では、まだいちおう「公安 vs. 犯罪者」という二項対立の構図が成立していました。後半になってくると、シビュラシステム(=社会正義)の正当性もいよいよ怪しくなってきますけど、それでも槙島とか、彼のバックアップを受けた犯罪者からの、社会システムの「内側」にいる人たちに向けての攻撃(犯罪)がメインに描かれていた。

 もっといえば、1期で描かれた犯罪は、現行のシステムにたいする「異議申し立て」という色彩の強いものでした。第1話の暴行犯も、工場でのイジメ殺人も、アバターのっとり犯も、学園での前衛アートかぶれ殺人も、サイボーグおじさんの人間狩りも、すべて社会システムから弾かれた不満だったり、システムへの懐疑が犯行の動機になっていました。

 彼らの犯行の根っこには、根深い不満や鬱屈があるため、犯行の手口も残虐だったり、手が込んでいたり、あるいは快楽的だったりした。まったく肯定できないものであるにせよ、彼らの殺人には能動的な動機があったわけです。

 そして公安は基本的には、その攻撃からシステムの内側にいる人たちを守る役割を担っていました。


◯2期で描かれる受動的な「悪」

 

 それに対して、2期で描かれる暴力、殺人はもっとオートマチックな印象です。

 だいたい、いまのところ2期でいちばん人を殺してるのって公安ですよね。第4話で描かれた、あの大殺戮。

 1期で描かれた、残虐で、ときには凝った手口をもっていた殺人とは対照的に、白昼のビル街でボンボンと「あっけなく」人体が破裂していく描写が印象的でしたが、あそこでの殺人は、あくまで「お仕事」として行われています。監視官や執行官たちには、1期の犯人たちのような内発的な動機がない。

 新登場したデカいライフル型の強襲型ドミネーターで、監視官の青柳が壁越しに撃たれてしまうのが象徴的ですが、あそこでの公安メンバーたちは自分で思考することを放棄しているんですね。シビュラに完全に判断を委ねている。

 1期で「場に応じた判断ができるから、人間がドミネーターを持っているんだ。そうじゃなければ、ドローンにドミネーターを持たせて巡回させればいい」みたいなセリフがありましたけど、あの場面での公安メンバーはほとんどドローン化しています。

 

                      ◯

 

 第1話のクライマックス、ビルの屋上に追いつめられた爆弾魔の「シビュラに弾かれた俺たちは社会に必要ないのか!」というセリフにたいして、朱はこう答えています。


必要よ。あなたも、あなたの作った爆弾も。社会がかならず正しいとは限らない。だからこそ私たちは、正しく生きなければならない。


 「あなたも、あなたの作った爆弾も」必要、というのは、いまの社会システムのありかたを疑っている犯人の姿勢(懐疑的知性)が社会にとっては必要なんだ、ということですね。1期でも朱は「槙島の気持はわかる」みたいなことをいっていましたが、その再確認的なセリフ。

 逆にいえば、現行の社会システムになんの疑問ももたずにのっかっていくような、盲目的な現状肯定の態度が2期での「作中悪」です。

 1期の犯罪者たちの「悪」が、切り裂きジャック的な「能動的な悪」だとしたら、2期の公安メンバーたちの「悪」は、アドルフ・アイヒマン的な「受動的 / ビジネスライクな悪」。「悪をなしている」という自覚が薄くて、義務をこなしているという認識なぶん、よりタチが悪いともいえる。

 つまり2期では、シビュラの支配力が1期よりもアップしていて、自分の頭でモノを考えすにシビュラの判断に従っていたほうが上手く生きていける、という傾向がより強まっています。

 「出世のために監視官になった」(=システムに素直にのっかっていく方向の人生設計をもっていた)と語っていた青柳が、正義の執行を「自分の意思」として明確にもったとたんに犯罪係数が上昇して、ドミネーターでふっとばされるのとかヒドい(笑)。

 釘撃ち銃みたいな、シビュラの判定に関係なく自分の判断で犯人を仕留めることができる武器があったにも関わらず、青柳がドミネーターを手放せなかったのは、1期で槙島に友人を人質にとられた場面での朱の行動のリフレインですね。

 


                      ◯

 

 なんでドミネーターに撃たれた人体が破裂するのかというと、ひとつには検死ができないように、という理由があるんじゃないかと思います。

 シビュラがその人物を「排除すべき」と判断した、その決定は絶対。疑うな!検死の必要などない!ということですね。この作品の世界では、人間による裁判制度が過去のものになっていることは、1期でふれられていました。

 もうひとつは、これは現実的な理由というよりは物語の仕掛け的な部分ですけど、固有性の剥奪。顔をはじめとする、その人が他の誰ともちがう「その人」である、という身体的な特徴を破壊する、という意味合い。

 シビュラが「個」や「多様性」を抑圧してくる存在だ、というのは1期の感想にも書きましたけど、その徹底です。


◯拡大して描かれる、思考停止としての「悪」

 

 このように、2期では思考停止とか無関心、アパシーが作中悪として描かれていますが、それがさらに拡大して描かれたのが、第5話のゲームアプリと連動して人が殺されていく描写。

 ゲームをやっている人たちには、自分が人を殺しているという自覚すらないわけですが、あのゲームが「どうしてもやりたい!」と発売日に並んだり、お金をだしたりして「能動的」にゲットするようなゲームではなくて、たまたまネットに無料で転がっていて「お、ラッキー」とヒマつぶし的にやるゲームなところがポイントな感じです。

 もちろん手軽にできるゲームがいけないとか、そんなことじゃなくて、日常のなかの悪意のない、なにげない行動が、めぐりめぐって暴力につながっているかもよ、という話。

 たとえば量販店で安いセーターを「お、ラッキー」と買ったとして(私も買うことがあります)、そのセーターがどういう環境下で作られているのかとか、その消費活動がどういうシステムを支援することにつながるのかとか、そういう連鎖にたいする想像力。(関連記事『モンスターズ・インク』感想 

 『風立ちぬ』でも描かれていた通り、現代の世界に暮らしていると、そういうシステムから逃れることはできないんだけど、そのシステムに自分が否応なしに含まれていることに自覚的かどうか。

 作中で、なにも知らずにゲームを操作した人々に刑事責任があるとかじゃなくて、ごく日常的な、悪意のない行動が暴力につながっているかもよ、という可能性。そういう可能性を、物語的な想像力でもって「暴力」に直結させて描いていたようにみえたのが、第5話のあのシーンでした。

 


◯むすび

 

 1期の槙島は、システムに不満をもつ犯罪者たちに社会への攻撃をけしかけることで、彼らの「個性の発露」とか「命の輝き」をみたい、という動機をもっていましたが、2期の鹿矛囲は、いまのところは「自分の罪に無自覚な、システムの内側にいる公安 / 大衆の悪を暴く」という方向性で動いているようにみえます。

 いっぽうで、捕らえた監視官の酒々井に「君自身の意思が欲しい」とか言っているわりには、マインドコントロールをしているように見えるのも、槙島との違いとして気になるところ。

 そして1期ではまだギリギリ成立していた「公安 vs. 犯罪者」の二項対立が完全に崩れていて、監視官の中でも朱が孤立していたりとか(チッ、局長のお気に入りが張り切りやがって、みたいな雰囲気)、いちいちつっかかってくる霜月とか、どの勢力に属しているのかわからず不気味な東金とか、もちろん鹿矛囲の存在とか、内にも外にも不安要素が満載。もう朱さんの気の休まるヒマがありません。

 さらに第5話のゲームアプリの描写で、作中の「守る側」と「守られる側」の境界もなんだか危うくなっている。「正義 / 社会の底が抜けている」ことが明らかになった1期の結末をきっちり引き受けた、正しい2期だと思うんだけど、これどうなるんだろうか。

 

                      ◯

 

 あと、「あれは喰われるな」と禾生から魔女化判定をくらってしまった霜月の行く末も気になりますね。1期の感想にも書きましたけど、多様性を抑圧してくるシビュラシステムのもとでは、性的マイノリティは迫害される傾向があるので、六合塚に同性愛的にときめいているっぽい霜月は危ういです。

 リアルに職場にいたらちょっとたまらないけど、物語のキャラとしては好きなんです、霜月みたいなめんどくさいタイプ。朱にいちいちつっかかっていくのもなんか笑っちゃうし、六合塚に頭をなでられて癒されてる美佳ちゃん、めっちゃかわいいんですけど!

 OP映像をみる限りではあの人とあの人が対決モードだったりとか、あの人っぽい人物が出ていたりとか、いろいろと憶測やミスリードを誘ってくる要素満載な2期。後半にも期待です。

 

※シリーズの感想

『PSYCO-PASS サイコパス』(1期)を振り返る 

『PSYCO-PASS サイコパス2』を振り返る 

『劇場版 PSYCO-PASS サイコパス』感想