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U2『ZOO TV』:ロック史上最大規模の「まな板ショー」

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 U2が1990年代前半に行ったワールド・ツアー『ZOO TV』にまつわる文章です。その昔、他のサイトに投稿したものにちょっと手を入れました。

 いまだに語り草になっているこのライブの模様は、20年近く前に出たDVD『ZOO TV ライブ・フロム・シドニー』の中古or輸入盤を探すか、『アクトン・ベイビー』のスーパー・デラックス・エディション(10枚組)を買うなどすると確認できます。あとはまあゴニョゴニョ...。

 マジな話『ZOO TV 』は、ディランの『ローリング・サンダー・レビュー』とか、ピンク・フロイドの『ザ・ウォール・ライブ』に匹敵するポピュラー音楽史上屈指の重要ライブなので、公式がきちっとリマスターしたものを、もうちょっと手軽に見られる形で再リリースしてほしいのですが。

 

  

◯本文

 マニック・ストリート・プリーチャーズのニッキー・ワイアーは2002年のインタビューのなかで、アルバム『アクトン・ベイビー』発表当時のU2をこんなふうに茶化している。

 

「(...)U2のことで面食らっちゃうのはそこで、シチュエーショニズムに出会うのって、普通は15、6の頃なのに、連中は33とかになってから出会ってるわけ。何だか間の悪い話だなあって思ったよ。俺達は状況主義を、『アクトン・ベイビー』よりも以前の1990年に、既にやっていたんだぜ。ほんの19歳でね。そしたらそのうちあいつらも皮肉屋になることに決めたらしくて、状況主義のスローガンを使い始めたんだ。

でもさ、セックス・ピストルズやクラッシュが好きで、パンク期の名批評家のグリル・マーカスやジョン・サヴェージ ーーーサヴェージは俺の永遠のヒーローでもあるんだーーー の記事を読んでた人間だったら、ごく自然にこのへんの考え方と出会うもんなんだけどね」

(『snoozer』2002年12月号)

 

 ここでニッキー・ワイアーは状況主義を、パンク・ロックを通過した人間ならば知っていて当然の基礎教養のひとつとして捉えており、だから「30過ぎのおっさんになってから得意顔でそんなもの持ち出すなよな」とバカにしたわけだけれど、でもU2は「教養」の発露としてそれを持ち出したわけではなかった。

 『アクトン・ベイビー』のリリースと、それに続く『ZOO TV』ツアーの敢行。

 それは、80年代にはステージで白旗を振り回し、「大文字の理想」を訴える熱血ロックバンドだったU2が、ベルリンの壁が崩壊し、冷戦が終結し、地域紛争が頻発しはじめた後の世界…いわゆる「大きな物語」が機能しなくなった90年代に、どんな形であればアクチュアルに世界と切り結ぶことができるのか?を模索した結果選択した、バンドとしての切実な生存戦略だったとおもう。矛盾した言い方だけど、「捨て身の生存戦略」。

 大胆という言葉ではとうてい収まらないレベルでの方向転換を遂げた『アクトン・ベイビー』のリリースは、いうまでもなくバンドのキャリアを台無しにしかねない大きな賭けだった。

 しかし、もし『ヨシュア・トゥリー』の成功体験を引きずったままだったら、90年代のU2は沈没したか、もしくは時代との接点を見失ったまま、オールド・ファン相手に往年のヒット曲を披露する懐メロバンドに成り下がっていたかもしれない(他の多くの80年代型スタジアム・バンドがそうなってしまったように)。

 『ZOO TV』は、ステージ上に資本主義のカオスを圧縮して再現してみせたような、とんでもない規模のものだった。

 無数のTVモニター、ギラギラと光を放つミラーボール、それまでのストイックなU2のイメージからはかけ離れたド派手で悪趣味な衣装。共産圏だった旧東ドイツを象徴する大衆車「トラバント」は、派手なペイントを施され、天井からつり下げられて、金まみれのスペクタクル・ショウを盛りたてるためのキッチュなオブジェと化していた。

 最初の曲『ズー・ステーション』(実在する「ベルリン動物園駅」に、コジェーヴ的「動物」のイメージを重ねたのだろうか?)*1で、その資本主義的カオスの真っただ中に「抵抗しながらも無理矢理送り込まれる」パントマイムを演じながら登場するボノ。

 やがて彼は、そこでロック・スターの役割を演じることを決意したように、不敵な笑みを浮かべ、露悪的にオーバーなパフォーマンスで観客を煽りはじめる。

 


U2 - Zoo Station (Live)

 

 これ以上かっこいいオープニングがあるだろうか?そして「I'm ready / Ready for the laughing gas」という最高の歌い出し。

 笑気ガスが充満したような資本主義的ユーフォリアの真っただ中にダイヴしていく...という高らかな宣言とともに「ZOO TV」はスタートする(根拠を欠いた「It's alright...」のリフレインも投げやりで素晴らしい)。

 続く『ザ・フライ』では、無数のモニターから断定的なスローガンやランダムな文字列がつぎつぎと高速放射される。

 とうてい咀嚼不可能なスピードで情報の洪水が押し寄せ、それらは絡み合い、混濁し、あれよあれよという間に意味を失い溶解していく(当時の人々が毎晩のようにテレビの前で目にしていた光景...ネット時代のわれわれにとってもおなじみ)。

 


U2 - The Fly ZOO TV Sydney [HD]

 

 さらにアンコールになると、ボノは醜悪なロック・スター像を極限まで推し進めたキャラクター「マクフィスト」として降臨。*2

 白塗りの顔に金ラメスーツ、厚底ブーツ、頭には付けツノという異様ないでたちのボノは、客席にむけて盛大にニセ札をバラまき舞い踊り、『恋は盲目』では、観客の女性を抱擁しながら「恋は盲目 僕は見たくない」と侘しげに囁く。

 

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 最後は汗でメイクが流れ落ち、疲弊しきったボロボロの表情でエルヴィスの『好きにならずにいられない』をなんとか歌い切ると、”サンキュー" もガッツポーズもなく、よろよろとスポットライトの外の闇に歩みさっていく。

 かつては純情熱血ロッカーだった青年が、資本主義のステージに送り込まれ、そのシステムの中でニヒリズムや状況主義的スローガンをまきちらしながらロックスターとして肥大化していき、疲弊し、最後には全てを失う。

 その過程を「資本主義的過剰さを武器にして、資本主義と正面から殴り合う」という力技でもって、巨大規模のエンターテインメントとして成立させてしまったのが『ZOO TV』だった。*3

 「純粋さがカネに敗北するヒロイックな悲劇」ではなく、破滅の過程でカネにあかせてまばゆい光と轟音を放ち、観客を幻惑する一大スペクタクル。ステージの上でバンドと資本主義がくんずほぐれつ繰りひろげてみせる「まな板ショー」。

 こんな壮絶なことを、他のどんなバンドがやれただろう?

 

 

◯蛇足

 『ZOO TV』でやってのけた「資本主義的過剰さを武器に資本主義と殴り合う」という離れ業をさらに過激化させたのが、次の『POPMART』ツアーだった。

 超巨大なステージ・セットに総額180億円?ともいわれる空前の費用を注ぎ込み、あまりにもカネがかかりすぎたせいで、ワールド・ツアーが全公演ソールド・アウトしても赤字なのでは...という噂もあったほどの気違い沙汰。

 ちなみにこのツアーの発表記者会見は、Kマートの下着売り場でおこなわれていた記憶がある。資本主義と殴り合いつつも対立するわけではなく、というかそもそも対立など不可能であり、自分たちはどこまでもその一部にすぎないことを自覚的にネタにしてみせる。いかにもこの時期のU2らしいユーモア感覚。

 

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 直前にリリースされたアルバム『POP』の評価が芳しくなかったことも響いてか、結果的にツアーのソールド・アウトはならず、設営や機材関連のトラブルも相次ぎ、この時期のU2はかなり疲弊していたはず。

 その疲弊したバンドの姿を捉えている(ように見える)のが、『ステアリング・アット・ザ・サン』のビデオ。ボノがくたびれた中年男としての等身大の姿を晒しているのだが、これが妙にセクシーなのだ。

 


Staring at the sun (alternate video) - U2

 

 マイアミで撮影されたらしいこのビデオ、最初私はキューバで撮影されたものと勘違いしていた。

 ボノのかぶったカストロ帽のイメージにひっぱられて「資本主義との殴り合いで疲弊した男たちがキューバをあてどもなく彷徨う」というストーリーを勝手にでっちあげてしまったわけだけど、でもやはり、キューバ共産主義)とアメリカ(資本主義)を対比させるという意図はあったとおもう。

 (キューバにほど近いマイアミには移民が数多く住んでおり、両国の政治的・文化的混合や対立が複雑に絡みあっている。)

 だからこそのカストロ帽であり、葉巻であり、星条旗であり、(フェイクの)月面歩行なのではないか。

 

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 つまりこのビデオは、U2バージョンの『ゴッドファーザー PARTⅡ』であり『スカーフェイス』なのだ!といっても過言ではないのである。過言です。

 

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*1:『アクトン・ベイビー』の1曲目を飾る『ズー・ステーション』のイントロは、デヴィッド・ボウイ美女と野獣』のイントロの明確なパロディー。→  Beauty and the Beast Zoo Station  90年代のU2と、ベルリン時代のボウイの共通点はよく指摘される(アメリカ音楽への傾倒からベルリンへ〜というルートや、キーマンとしてのブライアン・イーノの存在)。

*2:ブレット・イーストン・エリスの『アメリカン・サイコ』には、純情ロッカー時代のボノを「善人顔した悪魔」のように描いたシーンがあったけれど、ボノはステージ上で実際に悪魔に変身してみせたわけだ。U2がここまで大胆でクレバーなバンドだとは、エリスも思っていなかったんじゃなかろうか。ちなみに『ZOO TV』が始まった当初、バンドの変貌にとまどった批評家が「一体どうして?」と質問したときのボノの皮肉な解答がナイス。「君ら(インテリ連中)があまりにも嫌うからイメチェンしたのさ」

*3:もちろん、こうした構図には常に「ミイラとりがミイラに」なってしまう危険がつきまとう。バンドはそこに自覚的だからこそ、『ファウスト』のメフィストフェレスをパロディ化した「マクフィスト」をステージに登場させたのだと思われる。