ねざめ堂

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雑記:『中二病でも恋がしたい!戀』『氷菓』『安達としまむら』

 

※この雑記は次回更新時に削除します


 数年前に書いた『中二病でも恋がしたい!戀』(2期)の記事、最近ちょっとだけ読んでいただけているみたいです。とくに「連関天則」の解釈?をした②のほう。

 

『中二病でも恋がしたい!戀』感想①:「好き」を続けていくために

『中二病でも恋がしたい!戀』感想②:「連関天則」の意味するもの

 

 なんでかなと思ったら、先日ニコニコ生放送で『中二恋』シリーズの一挙放送があった模様。うん、「連関天則」気になりますよね、2期を観ると。

 それで、2本の記事を読み返してみてあらためて思ったんだけど、『中二恋・戀』ってすごく粗雑に要約してしまうと、

 

「革新」の六花と「保守」の智音が、それぞれどのように「変化(=恋)」に対応するか?

 

 という物語だったんですよね。記事のなかでこれを指摘すればずっと話が早かったのだよ、当時のオレ…。

 異なる政治的スタンスをふたりの魅力的なヒロインに分担させたうえで、どちらの選択も祝福してみせるあたり、京アニのある側面を象徴するような作品だと思います(本来的な意味でのリベラル、と書きかけたけど誤解を招きそうなのでやめた)。

 ものすごくあたり前の話だけど、高校生のキャラクターをメインに据えているからといって、学生に特有のテーマしか扱えないなんてことはないのですね。テーマは抽象化して作品に組み込むことができる物なので。

 

                    ◯


 ニコニコでは『氷菓』の一挙放送もあったようなので、便乗してこちらの記事も宣伝しておきます。

 (これを書いた当時は『氷菓』が実写化されるなんて思いもしなかった。)

 

『氷菓』で考える、技術と表現の関係

 

 『氷菓』は、言語化することが難しい曖昧な感情を映像によって見事に掬いとった作品で、放映当時かなり驚かされた覚えがあります。これ、アニメーションとして新しい領域に入っていると思うんだけど、この感じをどう言い表したらいいんだろう…と、当時なりにあれこれ考えながら書いた記事です。

 ところで、入間人間ライトノベル安達としまむら』が今年テレビアニメ化されるそうだけど、こちらもけっこう映像化のハードルが高そうですよね。表面で起きているイベントはきわめて地味なのに、内面的にはめちゃくちゃいろんなことが起こっているという映像屋泣かせの作風。

 『氷菓』と同様に、喜怒哀楽には回収しきれない、なんともいえない感情の動きが扱われています。

 

TVアニメ「安達としまむら」公式サイト|TBSテレビ

 

 原作の、とくに近刊はほとんど心理小説めいた域に入っているところがあって、この感じをセリフやモノローグに頼りすぎて表現したら映像作品として負けだよな…と思うんだけど、どういう出方でくるのか。

 制作を担当する手塚プロダクションがいまどんな状況なのか…というあたりも個人的によくわかっていないので(単独でテレビアニメを制作するのは久しぶり?)、いろいろな面で楽しみにしています。