ねざめ堂

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『リズと青い鳥』雑感(再掲)

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 このブログでは年末に『今年もまた暮れてった』というタイトルの記事を掲載するのが毎年の恒例行事になっています。

 内容はたいてい、雑然とした一年間の振り返り。短時間で書き散らしてさっとアップして、お正月が過ぎると引っ込めてしまうという、松飾りみたいな感覚で気軽に更新している記事です。

 去年、2018年末の記事では、春に公開された『リズと青い鳥』(制作:京都アニメーション)にまつわる雑感を書いておりました。なにせ上に書いたような性質の文章なので、読み返してみると、勢いまかせの乱暴なところが目につきます。

 でもそのぶん、昨年末にひとりのアニメ・映画好きが、幸せな驚きをもって京都アニメーションの作品と向きあっていた感じが無防備に表れているのではないかな、と思い、あらためて投稿し直すことにしました。

 (以下、2018年末の記事の再掲です。基本的にストーリーには触れていませんが、記事のいちばん最後で、ちょっとだけ結末についての感想を述べています。ネタバレを気にする方はご注意ください。)

 

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 振り返ってみると、今年はアニメーションの当たり年だったな…と感じる方は多いのではないかと思います。2016年のような圧倒的な感じこそないものの、テレビシリーズでも劇場版でも素晴らしい作品がいくつもリリースされて、アニメ好きとして「は」充実していた一年でした。

 なかでも個人的に強い印象を受けたのは『リズと青い鳥』(公式サイト)で、強い印象というか、はっきりとショック。公開初日に観たあと、私はツイートがわりにこんな記事を書きなぐったんですけど、

 

雑記:『リズと青い鳥』

 
 とっちらかった文章だけど「こんなもん見たことねえよ…」というあわてっぷりは感じていただけるでしょうか。アニメーションの表現領域が拡張される瞬間に、同時代人として立ちあってしまった…という混乱と興奮。

 そもそもの公開規模が小さく、大ヒットしたわけでもないですが、5年とか10年とかそのぐらいのスパンで受け手(将来の作り手)の感性に影響を及ぼしてしまう、そういう作品だとおもいます。

 唐突だけど、山田尚子監督の『聲の形』から『リズと青い鳥』への推移って、コーネリアスのキャリアを連想させるところがあるんですよね。『FANTASMA』(1997年)から『POINT』(2001年)のときの、いきなりサウンドやコンセプトのフォーカスが絞られて、解像度がとんでもなくはね上がったあの感じ。

 

 


The Micro Disneycal World Tour(『FANTASMA』収録 )

 


Point Of View Point (『POINT』収録)

 


 いろいろなインタビュー記事を読むと、『聲の形』に続いて音楽の牛尾憲輔と相当緊密なコンセプトワークを行ったらしいことが伺えますが、その成果として、あの音楽(音響効果も含む…というか、今回は音楽と音響の境目も曖昧)と映像とが渾然一体となった構築物が出来上がっているんですね。

 映像の上に音楽が「乗っている」とか、そういうレベルのものではない。すごく耳の良い人なんだろうなあと想像します。アニメ・実写を問わず、日本の監督としては珍しいタイプ。

 山田尚子牛尾憲輔が具体的にどういう作業をしていたのか?については、このインタビューでいくらか触れられていて面白かったです。

 

最後の「ピン」という音で希美の幸せを願った―牛尾憲輔が語る「リズと青い鳥」と音楽|Zing!

 

 ここまでいくと、ちょっとコンセプトに縛られすぎで窮屈なんじゃない?という意見もあるかもしれないですが、牛尾憲輔は別作品(『モリのいる場所公式サイト)のインタビューのなかで、こんな発言をしています。

 

いきなり「何でもお好きにどうぞ」っていうのは、意外と作りにくいんです。コンセプトワークとかって、可能性を狭めていく作業なんですよ。物が出来上がるのって、可能性がゼロになるっていうことだから。(...)

『モリのいる場所』牛尾憲輔さんインタビュー・前編  アニメと実写映画で違う、歩くということ―― | SWAMP(スワンプ)

 

 コンセプトに縛られて作品が不自由になるんじゃなくて、縛りをツールにして作品を形にしていくわけですね。しかし「物が出来上がるのは可能性がゼロになること」ってめっちゃクレバーな表現だ…。

 あと、『リズと青い鳥』は12月にブルーレイが発売になったんですけど、特典のスタッフコメンタリー(監督・音楽・音響チーム)でもかなり面白い話が出ています。

 この中で話題に出ていた、音楽と音響の境目が曖昧…みたいな話にも通じるんですが、この作品って、脚本の吉田玲子と、絵コンテを描いた山田尚子の仕事の境目もよくわからないんですよね。

 あまりにも多くのことが、セリフや物語内の出来事(=脚本の領域)に頼らずに、映像(キャラクターのちょっとした仕草や表情、あるいはトッド・ヘインズばりの象徴表現など)によって語られているので、これ、吉田玲子はどこまで書いて、どこからが山田尚子の絵コンテに拠っているんだろう?というのが想像できない。

 いや、基本的にはどんなアニメもそういうものなんですけど、その境目のわからない度がすごく高い。脚本と映像、音楽と音響、すべてが有機的に結合した「カタマリ感」は『聲の形』でも感じられましたが、今回はそれがさらに高いレベルで結晶化しています。90分間のあいだ観客はそのカタマリに飲み込まれて、キャラクターたちと同じ空気を吸って、同じ空間を体験する。

 …という言い方をしてしまうとVRっぽくきこえるんだけど、もちろんそうじゃなくて、それとはぜんぜん違うあくまで映画的な体験なのですよ…。VRとは違うし、セルルック3DCGでは表現不可能な繊細な生っぽさがあるけれど、かといって写実的なわけではない、手描きアニメーション映画ならではの映像体験。うーん難しい。

 この作品はそういう特異な質感をもってるんだけど、でも素晴らしいのは「新奇なものを作って受け手をあっといせてやろう」みたいな無理がまったく感じられない点です。あくまでも「作品にとっての必要を追求していったら、結果としてこういうものが出来上がってしまいました」というナチュラルな佇まい。

 

 


『リズと青い鳥』特報第2弾

 

 

 そうした特異な印象に拍車をかけている要因としては、扱っているドラマのミニマルさもあげられます。『リズと青い鳥』は最初から最後まで二人のキャラクターの関係性の変化だけをじっくりと追っていくんだけど、これって最近の商業アニメの定型からはちょっと外れていますよね。

 アニメやゲームの物語の特徴として、ノンリニア的ということがいわれます。物語の焦点・視点が一カ所に留まらずに(リニア=直線的ではなく)、群像劇的・多中心的な傾向が強いということですが、ではどうしてこのような傾向が強くなるのか?という理由については、「アニメやゲームには美少女・美少年キャラを大勢出す必要があるからだ」…という説明がなされることがあります(石岡良治『視覚文化「超」講義』など)。

 つまり「群像劇を描きたいからキャラを大勢出そう」ではなくて、「(商業的な理由で)美少女キャラを大勢出したいから、群像劇を作ろう」という順番なんですね。キャラが物語に先行する。

 『リズと青い鳥』は、TVシリーズ響け!ユーフォニアム』のスピンオフ作品ですが、大元の『ユーフォ』はまさに、これでもかというぐらい美少女キャラが大挙して登場する作品です。

 

 


『劇場版 響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~』本予告

 

 

 高校の吹奏楽部が舞台なので、作品の必然ではあるのですが、それが商業面での利点になっている部分は大きいと思います(じっさい、各キャラクターをフィーチャーしたグッズ類が何種類も販売されています)。そして、50人以上が在籍する吹奏楽部をひとつの社会モデルに見立てた、重層的な群像劇が展開されていく。

 『リズと青い鳥』とは異なるベクトルで制作の難易度はとても高いと思いますが、同時にいまのアニメにおいては、比較的主流に属するタイプの作品でもあります。

 『リズと青い鳥』は『ユーフォ』を知らなくても問題なく楽しめるように作られているけれど、ここまで受けやすいフォーマットから外れたミニマルな作品の制作にスタジオが踏み切れた背景には『ユーフォ』シリーズの成功という後ろ盾の安定感があった…のかもしれない。

 

公開を予定している2本の劇場版のうち、1本を任せてもらいました。もう1本は、TVシリーズの監督であった石原立也監督による新作です。

そちらがいわば本編ですから、自分がつくる『リズと青い鳥』は2人の関係性に振り切ってもいいんじゃないかということで、このような作品になりました。

『リズと青い鳥』山田尚子×武田綾乃 対談 少女たちの緊迫感はいかにして描かれたか - KAI-YOU.net

 

 もちろん『ユーフォ』の評価が高く、固定ファンが大勢いるからこそ、本編の主人公格のキャラクターたちがほとんどモブ扱いされるうえに、キャラクターデザインの変更まで敢行した『リズと青い鳥』は冒険だった…ということもいえるわけですが。

 そのように徹底してミニマルな人間関係を扱った『リズと青い鳥』だけど、クライマックスで描き出されるのは、我々の生きる世界の有り様そのものなんですよね。極小が極大に通じている。

 物語を通じてすれ違い続けたふたりのキャラクターがついに正面から向きあうんだけど、とてつもなくエモーショナルで美しいこのシーンで、彼女たちは何ひとつ分かりあうことなくすれ違いつづけていて、でももしかしたらほんの一瞬だけ二人の軌跡が交差する瞬間が訪れるかもしれない…みたいなラストに至るという、つまりは黒沢清の『回路』であり、田中ロミオの『CROSS†CHANNEL』であり、北野武の『Dolls』なんですよ!…とめっちゃかん高い早口になりかけたところで今年も押し迫ってまいったので、そろそろお蕎麦たべてきます。*1*2

 お正月休みの方も、元旦から仕事だぜという方も、そもそもカレンダーの休日なんて興味ないしという方も、みなさま良い年をお迎えください。
 

 

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