ねざめ堂

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双方向の侵蝕 ~『ベニスに死す』感想

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 お正月に久々に観返したら、やっぱり「エエな〜」となったので、むかし他所のサイトに投稿した感想文をちょっといじって転載(小説じゃなくて、ルキノ・ヴィスコンティの映画版の感想です)。

 

◯「侵蝕する者」としての主人公

 トーマス・マンの原作では小説家だった主人公の職業は、映画では作曲家に変更されており、グスタフ・マーラーがモデルになっています。

 マーラーは19世紀末~20世紀初頭にかけて、おもにウィーンで活躍しました。そのころのウィーンは、従来の道徳や倫理感がかなり崩れてきた時期だったようで、マーラーの曲にもその「崩壊」のイメージが刻印されています。

 村上春樹小澤征爾の対談のなかで、そのあたりのことが語られていました。

小澤「(ウィーンの美術館でクリムトエゴン・シーレの絵画を見て)ああいうのを見ると、なんかよくわかるんです。つまり、マーラーの音楽って、伝統的なドイツ音楽から崩れてきていますよね。そういう崩れ方が実感としてよくわかる。崩れ方がとにかく生半可じゃないな、と」

村上「あの時代に大きな役割を果たした創作者は、カフカにせよ、マーラーにせよ、プルーストにせよ、みんなユダヤ人です。彼らがやっているのは、既成の文化構造に周辺から揺さぶりをかけることですよね。」

小澤征爾村上春樹小澤征爾さんと、音楽について話をする』)

 マーラーは伝統的なドイツ音楽の撹乱者としての側面をもち、映画にも、主人公が自作曲の初演で聴衆の大ブーイングを浴びるシーンが登場します。既成の文化を「侵蝕する者」としての主人公。

 といっても、映画の彼はべつに「撹乱」や「侵蝕」を目的にして作曲をしていたわけじゃなさそうで、音楽を通じてひたすら「美」を希求している生真面目な人で、友人と「美」について議論を戦わせるシーンが幾度か登場します。

 ところが、「美」が「少年」という具体的な形をとって突然目の前にあらわれると、主人公は年老いつつある自分自身を「醜いもの」として否定してしまう。

 純粋な「美」をめぐる議論のなかで友人に言われた「老人ほど不純なものはない」というセリフも効いているっぽいんだけど、自身を「少年の持つ ”美しさ” の侵蝕者」と見なしてしまうんですね(発想はほとんど「百合ーダー」である)。

 だから、著名な作曲家というステータスがありながら、ストーカーみたいに少年の周囲をウロウロするばかりで、彼に声を掛けることができない。

 

◯「侵蝕される者」としての主人公

 そのいっぽうで映画には、上流階級の人々が集う高級リゾート地に、一般大衆が「侵蝕」してくる姿も描かれます。

 冒頭、主人公から法外な渡し賃をぼったくろうとする船頭や、ホテルのテラスに強引に押し掛けてくるチップ目的の芸人一座。これらのシーンでは、主人公はお上品に取り澄ました上流階級の一員として、下司な大衆に「侵蝕される」側の立場にあります(どちらの階級も同じぐらい浅はかで薄っぺらなものとして描く、映画の突き放した視点がステキ)。

 『ベニスに死す』の公開は1971年。この前後はカウンター・カルチャーが既成の道徳や価値観に強い揺さぶりをかけていた時期で、そういった時代性がこのあたりの描写に反映されているように思えます(貴族階級出身という監督の出自も影響しているでしょう)。

 さらに、主人公が少年の美しさによって心のバランスを崩していくのと呼応するように、疫病がベニスを侵蝕しはじめる。

 疫病を封じるために町中に白い消毒液が撒かれるんですが、この白が、主人公が「老い」を覆い隠すために顔に塗りたくる「おしろい」の白と対応している…ということに観客が気付いたとき、いよいよ主人公が少年の「美」を侵蝕するウイルスのように見えてきてしまう。

 主人公は既成の文化構造の撹乱者であり、少年の「美」の侵蝕者。同時に、大衆の侵蝕をうける上流階級のメンバーにして、疫病に身体を蝕まれつつある病人でもあり…という錯綜っぷり。

 そんな風に破滅的な両義性を抱えこみながら、主人公は少年をストーキングし、荒廃したベニスの町を彷徨います。

 そして最後は、侵蝕する側 /される側の錯綜関係や、「老い」に無駄な抵抗を試みる主人公の滑稽さ・哀れさなどの諸々が、滅びの美しさの前に無化され、黄金色の日差しに焼き尽くされていく。見事な幕切れ。

 


Gustav Mahler, Adagietto, Symphony No. 5

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