『響け!ユーフォニアム』3年生メンバーたちの関係性に萌える
※タイトルどおり、3年生メンバーたちの関係性に萌えてるだけのゆるーい記事です。第7話までのネタバレがありますので、ご注意ください。
『響け!ユーフォニアム』が毎週素晴らしすぎて幸せです。
どのエピソードも何回も観返してるんですけど、演出・作画・撮影効果・音響などなど、すべての面が隅々まで充実していて、全く飽きません(楽器を触ったときの微かなノイズのバリエーションとかさー!)。
以前このブログで、
という記事を書いたことがあって、読んでいただけると嬉しいですが、この中で書いたのは
①デフォルメされた「絵」を使った表現であるアニメは、元来くっきりとした喜怒哀楽の描写を得意とした。
②でも技術の進歩によって、喜怒哀楽の「あいだ」、もっと曖昧な中間領域の感情(=ほろ苦さ)の表現が可能になった。
と、だいたいこのようなことでした(要約すると当たり前すぎて空しいな)。
それで『氷菓』同様に『響け!ユーフォニアム』も、くっきりとした「喜怒哀楽」では片付けられない、もっと微妙な感情のグラデーションを表現することに注力したアニメですよね。
とくに主人公・久美子のキャラ造形が、声の演技も含めて素晴らしくて、彼女は歴代の京アニ主人公のなかでもかなりキャラづけの薄い、トップクラスの「普通人」だと思うんですけど、そんな普通の女の子の感情の揺らぎを魅力的に描写することに成功しているので、ちゃんと「主人公」として成立している。
これ、凄いです。「一見平凡な民芸品こそが実は凄い技術の結晶なんだ」という柳宗悦的な意味で凄くて(?)、ほっとくと「久美子かわいい」という話を延々書いてしまいそうになるんですけど、でも今回は第7話でめっちゃいい感じに描かれていた、3年生4人=田中あすか・小笠原晴香・中世古香織・斉藤葵の関係性についてあれこれ書いてみようと思います。
◯田中あすか
いつも陽気でカッコよく頼りになって、「シリアスに傾きかけた状況に明るさ・軽さをもたらしてくれるキャラ」というポジションだったあすか先輩ですが、第7話でその「明るさ・軽さ」の意味合いが突如反転するというシーンがあって、これには大変ゾクゾクいたしました。
おそらくは多くの人に強い印象を与えたであろうこのシーン。
「だったらあすかが部長やればいいでしょう!?あすかが断ったから、私が部長やらなきゃいけないことになったんだよ?あすかが…」
「だったら。だったら晴香も断れば良かったんだよ。…違う?」
悲嘆にくれて泣きじゃくる友達を前にしての、この表情。たまらんです。安心感を与えてくれる存在だと思っていたキャラが、突如ギラリと刀を抜く瞬間。
私が大好きな小津安二郎の『東京物語』で、それまで好々爺キャラだった笠智衆が、突然息子について辛辣なコメントを平然と述べるシーンがあるんですけど(茂木健一郎もよく「名場面」として挙げているシーンですね)、それと同質のショックを感じるシーンでした。
思い返せば第4話のパートリーダー会議でも、議論が膠着しそうになって「低音パートはどう?」と助けを求めたあすかを「どっちのいってることもわかるけどねー、私は」と突き放すシーンがありましたね。
もちろん「明るく振る舞ってるけど、じつは腹黒キャラだった」みたいな素朴な話ではなくて、葉月たち後輩に親身にアドバイスする姿も、自分が音楽に没入するためならば他の事を冷徹に切り捨てる姿も、ぜんぶ彼女がもつ様々な側面、「ほんとうの姿」なのではないかと思うんですね。『東京物語』の笠智衆だって、息子に愛情がないわけじゃない。
第7話のラスト、晴香が復帰したときの優しい表情が印象的でした。
◯小笠原晴香
「なきむしサクソフォン」晴香部長。生真面目さが祟って、この先もいろいろと損な生き方をしていきそうな雰囲気が愛おしいです。
この晴香とあすかの関係性がめちゃめちゃ良くて、初期の話をみている分には、性格は正反対だけどだからこその良いコンビ、それこそ『けいおん!』の律と澪みたいな関係なんだろうなー、と思ってしまうわけですけど。
(第1話・第2話)
でも第2話や第7話で、晴香がメンタル面での悩みを正直に打ち明けているのは香織だったりして。
(第2話・第7話)
あすかのことを頼りにしているし、尊敬も信頼もしているけれど、ガードを解けるのは香織の前だよ、というこのバランス。いい…。
◯中世古香織
そして晴香が心を許している「吹部のマドンナ」香織は、演奏者としては「あすか派」なんですね。第7話、晴香の家での会話。
香織「(部が存続できたのは)私は晴香のおかげだと思ってるけど。」
晴香「なにそれ?あすか派のくせに。」
香織「かっこいいからねー。演奏者として、あそこまで切り捨てて演奏に集中できたら、って思っちゃう。」
晴香「浮気者!」
香織は、あすかと晴香のあいだを仲立ちする感じのポジションでしょうか。あすかへの演奏者としての敬意と、晴香への友達としての共感。
続く晴香のセリフ「でもなんかわかるよ。なんだかんだいって、私もいつも気にしてるもん、あすかのこと。」の「わかるよ」のところで、晴香が自分のお茶ではなくて「香織の牛乳」を手に取る(=相手の意見を受け入れる)ところは憎い演出ですね。もともと脚本にあった動作なのか、それとも武本康弘監督のカラーなのか。
第7話は全体的に、物憂い雰囲気を繊細に描かせたら京アニナンバーワン?の武本監督らしさが満喫できた回でした。
◯斉藤葵
そして、第7話で退部してしまった斉藤葵。
晴香とは双方向の友情が成立しているらしい葵もまた複雑なキャラクターで、作中の2大引力「競争志向」と「共同体志向」とのあいだで引き裂かれている感じの女の子です。
『響け!ユーフォニアム』という作品が、「共同体志向」、つまり『けいおん!』でいうところの「私たちの今いる、この教室が武道館です!派」と、「競争志向」=「ヌルいこといってないで、競争に身を投じて本当の武道館目指すぜ、弱者は容赦なく切り捨てるぜ派」の分裂によってひきおこされた過去の共同体崩壊劇をスタート地点にもっている、ということについては、「ランゲージダイアリー」相羽さんの一連の記事がいつもながらシャープでほんとに素晴らしくて、
相羽さんの指摘をなぞってしまうと、久美子と姉(受験=競争がきっかけで吹奏楽をやめた)の関係、中学時代の久美子と麗奈の関係(ダメ金でもいいのか、全国いけなくて悔しいのか)、そして去年の吹奏楽部と、方向性の相違を原因とした関係性の崩壊劇が幾重にも積み重ねられたうえで、今回久美子たちはそのバッドエンドを回避し、異なる方向性の両者を縫合できるのか?という作劇になっているんですよね。
それで、葵は高校受験に失敗=「競争に敗北した」過去をもち、ふたたびその競争に飛び込んでいこうという意思をもっている点では、「吹奏楽部」という共同体を捨てて競争、上昇志向を採ろうとしているポジションです。
でも、吹奏楽部が「全国を目指す」という「競争」に参加していくことには賛同しない。
「私、のうのうと全国目指すなんてできない。去年あの子たち辞めるの止められなかったのに、そんなことできない。」
ここでは、部を去って行ったかつての後輩たちに対する罪悪感を表明している。「競争」と「共同体」のあいだで引き裂かれて、ついに部を去ってしまう感じは痛々しいですね。ひょっとしたら3年生のなかで、一番感じやすい子なのかも。
◯むすび
という感じで、3年生4人の関係性の微妙なバランスが明らかになった第7話。
田中あすかという人物一人をめぐる評価だけをとっても、香織と晴香は「すごいよね」という敬意は共有しつつも、やっぱりニュアンスの差を感じさせる描き方がされているし、葵はもしかしたらあすかには反発を感じている部分がある(?)かもしれない。
いっぽう2年生の中川夏紀からすると「あすか先輩冷てーよなあ」という印象がやっぱり拭い難い。夏紀は久美子と髪色が似せられているうえに、第1話で久美子がやめたポニーテールを続けているという点で気になるキャラなんですが。
(左:第1話の久美子 右:第4話の夏紀)
いつもはダラッとしていて、でも話してみると案外悪い子ではないという普通さ(良い意味でね♡)、そして1年前の吹部の崩壊劇を手をこまねいて見ていたという意味では、夏紀は久美子が勇気を出せなかった「if」の姿=「バッドエンド久美子」といえるかも。
(そんな夏紀が、第4話で「吹部共同体の再崩壊」の予感に危機感を抱き、勇気を出して声をかけた久美子に救われる、という流れは良かったです。)
ちょっと話が逸れましたけど、あすかへの評価に戻ると、久美子と秀一の1年生ふたりは「何考えてるのかわからなくてちょっと苦手」という感想を(第7話時点では)抱きはじめている。そして、そんな他人の評価なぞ知ったことかとばかりに、音楽に没入するあすか。
立場ごと、人ごとに異なる、そういう気持ちの微妙なグラデーション・複雑な関係性が、有機的なゆらぎをともなって作品世界に立ちあがっているさまがもう圧巻なんですけど、
この多様で繊細な関係性から受けとることのできるワクワクには、やっぱり『氷菓』と同質のものを感じます。
これに加えて、1年生たちの関係性にも、葉月の恋心が加わることでますます微妙なニュアンスが加味されていきそう。今後の展開が楽しみです*1*2*3。
*1:名前に関する妄想コーナーその①:3年生4人のうち、中世古香織、小笠原晴香は名前に「香」が入っていて、平仮名表記の田中あすかが「明日香」ベースだとしたら、斉藤葵だけ名前の中に「香」がないことになるんですよね。それで仲間はずれの彼女だけが辞めることになる…という仮説は、あすかが「飛鳥」とか「亜須加」だったら成り立たないですけど。
*2:名前に関する妄想コーナーその②:1年生4人のうち「黄前久美子」と「川島緑輝」は、性・名に「色」あり。「加藤葉月」は「葉」が「緑」と、「月」が「黄」と色のイメージ的関連あり。高坂麗奈だけ「色彩を持たない多﨑つくる」的存在…というのはさすがにこじつけかなー。ただ、あの小説も、過去に崩壊した共同体についての話でした。
*3:5月26日追記:名前に関して考えてみたら、公式サイトのキャラ相関図にのってる2年生メンバー4人も、吉川優子・中川夏樹が「川」、長瀬梨子も「瀬(=川と関連)」の字が入っていて、後藤卓也のみ関連なし、というネーミングなんですよね。ここまで来るとやはり意識的?と思うと同時に、これ熱心に観ている人たちのあいだではとっくに指摘済かもなー、とも思った次第。ただ、ちょっと面白いギミックなので、これについてはいずれ記事を書いてみたいです。→書きました。