100年後のアダムとイヴの物語 ~ 長谷敏司『BEATLESS』感想
長谷敏司のSF長編小説『BEATLESS』*1(2012年)の感想。以前他のサイトに投稿した文章を、ちょっと手直ししたものです。
この小説はもともとはアニメ専門誌・月刊Newtypeに連載されていたそうで、イラストレーターのredjuiceによるかっこいいイラストがついていました(イラストはコチラの公式HP BEATLESS の「イラストギャラリー」で見られます)。
今から100年後の世界を舞台に、知性はあっても感情をもたない美少女型hIE(≒ロボット)「レイシア」と、相手が「モノ」であることを理解しつつも、どうしようもなく彼女に惹かれていく人間の少年の関係を軸に展開される物語。未来社会の設定がハードに作り込まれていて、派手なアクションや哲学的考察も山盛り。
元来は「モノ」であるはずのレイシアに、いつしか「こころ」が芽生えて...みたいな展開は一切なく、あくまで「ヒトとモノとの関係のネクストフェーズ」が追求されているのが素晴らしい。たとえばレイシアは、「人間」をこんなふうに定義してみせます。
(...)わたしは人間を、"人体と道具と環境の総体" であると定義します。だから、生物としての人体に変化がなくても、道具と環境の進歩が、とうに総体としての人間を、四十年前より前進させています。(...)
すごくスリリングで、読後の余韻もハンパない小説なので、興味をもたれた方はぜひ。作品世界に頭をもっていかれてしまうあの幸福な感覚が味わえます。
以下、簡単な感想(結末のネタバレはなし)です。
◯「ヒト」と「モノ」
物語の冒頭、17歳の少年・アラトは、美しい少女の形をした人間型ロボット「レイシア」と出会い、「自分のオーナーになってほしい」と持ちかけられます。この、心を持たないけれど、人間そっくりに振る舞うことができるロボットが、ヒトの心に及ぼす作用(作中では「アナログハック」と呼ばれる*2)を軸に、物語は進みます。
レイシアは、人類の知能を凌駕した超高度AIによって設計された存在で、とんでもなく高い知性を持ちますが、どこまで行っても感情はありません。完璧に会話に対応し、笑ったり泣いたりもしますが、それらはすべて、場の状況に最も相応しい反応を計算によって導き出した結果です。
アラトはレイシアにどうしようもなく惹かれていきますが、同時にそんな自分の感情に戸惑いも覚えます。『BEATLESS』は、そのような「ヒト」と「モノ」との関係のあたらしい可能性ーーー
「"愛" というのは、一人の人間の内面ではなく、二者の関係性= "あいだ" に発生する仮想なのだから、たとえその片方が心を持たない "モノ" であったとしても、手を携えることのできる精巧な "カタチ" を備えていれば成立し得るのではないか?」
という仮説を、物語を通してシミュレートしていきます。
◯「アナログハック」と「萌え」
ほんとうは感情を持たないロボットが、感情があるかのように振る舞うことで、それを見る人間の気持ちに影響をあたえ、ときに行動を誘導する「アナログハック」。
この「アナログハック」から連想されるのは、いまの時代でいう「萌え」です(「萌え」の定義はさまざまですが、この場合は、おもに非実在のキャラクターに対して抱く執着や、擬似的な恋愛感情を指します)。
作中では、初歩的なアナログハックの例として「ハローキティ」のマグカップが例に挙げられます。無地のマグカップにキティのイラストが印刷されるだけで、幼児の「"その"マグカップ」に対する執着度はぐっと上がる。たんなる「モノ」に「意味」が付与されるわけです。
また、これは個人的な体験ですが、先日、登録だけしたきり1本も記事を書いていなかったアメーバブログを退会しました。その手続きの「退会します。よろしいですか?」という最終確認のところで、アメブロのマスコットキャラみたいなのが、目に涙を浮かべて「さびしいよー」みたいな感じでこちらに手を振っているイラストが表示されたんですね。
もちろんそれは、ディスプレイに表示されたただのデータに過ぎないし、そのイラストを描いたのはもしかしたらくたびれたおっさんだったりするかもしれないんだけど、それでも一瞬寂しい気持ちが沸き上がってきた。その瞬間の私はチョロくも「アナログハック」されていたんだと思います。イラストの背後に、勝手に「内面」を見てしまった。
このような作用が孕む危うさも周到に考慮され、作品に書き込まれています。秀逸なのは、アラトがレイシアによる「アナログハック」から一瞬醒めて、彼女が「モノ」であることをあらためて認識してしまう...という場面。
それでも、彼はレイシアが好きだ。けれど、その好意は、ポルノグラフィのような自分に逆らわないモノに愛情を受け止めてもらう、浅ましい欲でもある。
そして、ポルノだけを見て一生過ごすのは無理だ。些細なきっかけからだろうと、こうして幻から醒めてしまう。
こうした危うさをきちんと考慮したうえで、それでも「ヒト」と「モノ」との新しい関係を探っていくところに、この小説の凄みがあります。
◯『ラースと、その彼女』
SFに関してはほぼ門外漢なのですが、それ以外のジャンルでヒトとモノとの関係性を描いた印象深い作品として、『ラースと、その彼女』(2007年)という映画がありました。
主人公は極度に内気で心優しい青年。彼は、周囲からの「もうちょっと人と交流したら?」「彼女作ったら?」というプレッシャーに堪えかねて、ある日突然ラブドール(!)を「ぼくの彼女です」と大マジに紹介してまわりはじめます。
彼は本気で、ドールを自分の「彼女」と思い込んでいる様子。そして戸惑いながらも、それを否定せずに暖かく見守る町の人々。
面白いのが、青年の言う事に合わせてあげようと、町の人々がドールを「ヒト」として扱ううちに、次第に楽しくなっていく...というくだり。ドールはいつしか、町の「人気者」になっていきます。この展開には、平田オリザのロボット演劇なんかを連想する方もいると思います。
ただ、このあたりの展開は映画の中ではあまり深追いされず、ラブドールはあくまで「青年が人間社会に入っていくためのステップボード」という扱いでした。
この映画を観ながら、「良い話だけど、"モノ" であるラブドールを、周囲の人全員が "ヒト" として扱ったときに、人々や町全体にどういう変化が起きるか?という方向にもっと突っ込んでいく展開も観たかったなあ…」と考えた自分にとって、『BEATLESS』はドンピシャでした。
◯
この作品のアラト(=新たなヒト?)とレイシアは、「ヒト」と「モノ」との新らしい関係性の地平にはじめの一歩を踏み出した、アダムとイヴのようです。
ページをめくるたびに、見たことのない新しい世界が眼前に立ち上がっていき、読み終えてしばらくは「この作品で描かれた100年後の世界に生きている」という感覚が、頭の中に居座ってしまう。
フィクションならではの力を再確認させてくれた、忘れがたい読書体験でした。
*1:この小説で構築された世界観や設定を使って、自由に一次創作(二次創作ではなく)しちゃってください、商用でもOK! という面白い試みも行われています。→ Analoghack Open Resource ただし、オープンになっている範囲には注意。
*2:もう少し詳しくは、作者自身によるこちらの解説を参照→ Analoghack Open Resource - アナログハック