ねざめ堂

アニメ・映画・音楽

『八つ墓村』感想:戦前と戦後のせめぎ合い

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 脚本家・橋本忍の訃報をきっかけに、『八つ墓村』(1977年版)をひさしぶりに観返してみました。

 


八つ墓村

 

 『羅生門』や『七人の侍』、『砂の器』も手掛けている人なのになんで『八つ墓村』?という感じですが、この映画の脚本が橋本さんだということを恥ずかしながら今回初めて知って、「子供のころにテレビで観た、あのやたらとおどろおどろしい映画もこの人だったのか」と興味を惹かれたのです。

 当時は例のキッチュな大殺戮シーンにしか目がいかなかったんだけど(友達と「村人32人殺しごっこ」やったりしてね)あらためて観ると、シリアスなテーマが立てられた映画だったのですね…。

 以下の本文ではネタバレをしていますので、ご了承ください。

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『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』感想③:未来の流入

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 『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』(公式サイト)については、第6話までが放映された時点で記事を書いたんですけど、

 

感想①:変えられる / 変わってしまうものとしての過去

感想②:他人のなかの未来の自分


 この内容を踏まえたうえで、今回はアニメ最終回までの感想です(原作小説は未読)。前回同様、今回もテーマごとに記事を2本に分けています。

 

感想③:「未来」の流入(縦軸)
感想④:「他者」の流入(横軸)

 

 感想③は、個人の主観における過去・現在・未来…つまり「時間」の捉え方についての内容になっていて、これはいわば作品の縦軸です。

 感想①で、『ヴァイオレット』では「 “過去” を現在の自分の立ち位置からどう捉え直すか」ということがテーマになっているっぽいよ…みたいなことを書いたのですが、その延長線上にある話ですね。

 ただ、テーマが主観の内側のことだけに終始してしまうと、これはちょっと息苦しい。作品が自家中毒を起こしてしまう可能性もあります。

 そこで、水平方面の広がり、横軸として、ギルベルト以外の人間が視界に入らない…「きみとぼく」しかいない「セカイ」にいたヴァイオレットが、他者で溢れた「世界」に入っていく、というドラマが描かれる(『旧エヴァ』にはやっぱり『旧劇』が必要だったよね、みたいな感じ)。

 ほんとうは、この縦軸と横軸は作品のなかで有機的に絡みあって1+1=2以上の相乗効果をあげているのですが、当記事では浅はかにも腑分けして(スルメを見てイカをわかろうとするようなイージーな態度で)取り扱っています。

 以下の本文中ではネタバレをしていますので、ご了承ください。

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