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『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』感想③:未来の流入

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 『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』(公式サイト)については、第6話までが放映された時点で記事を書いたんですけど、

 

感想①:変えられる / 変わってしまうものとしての過去

感想②:他人のなかの未来の自分


 この内容を踏まえたうえで、今回はアニメ最終回までの感想です(原作小説は未読)。前回同様、今回もテーマごとに記事を2本に分けています。

 

感想③:「未来」の流入(縦軸)
感想④:「他者」の流入(横軸)

 

 感想③は、個人の主観における過去・現在・未来…つまり「時間」の捉え方についての内容になっていて、これはいわば作品の縦軸です。

 感想①で、『ヴァイオレット』では「 “過去” を現在の自分の立ち位置からどう捉え直すか」ということがテーマになっているっぽいよ…みたいなことを書いたのですが、その延長線上にある話ですね。

 ただ、テーマが主観の内側のことだけに終始してしまうと、これはちょっと息苦しい。作品が自家中毒を起こしてしまう可能性もあります。

 そこで、水平方面の広がり、横軸として、ギルベルト以外の人間が視界に入らない…「きみとぼく」しかいない「セカイ」にいたヴァイオレットが、他者で溢れた「世界」に入っていく、というドラマが描かれる(『旧エヴァ』にはやっぱり『旧劇』が必要だったよね、みたいな感じ)。

 ほんとうは、この縦軸と横軸は作品のなかで有機的に絡みあって1+1=2以上の相乗効果をあげているのですが、当記事では浅はかにも腑分けして(スルメを見てイカをわかろうとするようなイージーな態度で)取り扱っています。

 以下の本文中ではネタバレをしていますので、ご了承ください。

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雑記:『リズと青い鳥』


※この雑記は次回更新時に削除します


本日から公開の『リズと青い鳥』観てきました。

『リズと青い鳥』公式サイト

 
ネタバレは避けつつ、でも何か言ってみたい衝動に負けての勢いまかせのつぶやきなんですが、えーとこのアニメーションは今までのアニメーションが扱ったことのない領域を描いていてですね、同時にそれは実写映画には絶対に描くことのできない領域でもあって、つまりですね、この『リズと青い鳥』によってアニメーションはまた一歩進化をとげてしまったのです!(早口)

ハードコアなまでに静謐でミニマル、でありながらとんでもなく豊かな細部、アニメ的なお約束やサービスはほぼ無く、にも関わらずひとりよがりに陥らず商業アニメとして開かれていて、でもやっぱりこれ異様だよね…という奇跡的な(アン)バランス。

最高なことにわからないところがいっぱいあるので、これは何度も劇場に通っちゃうやつです。ひょっとして京都アニメーションの歴代最高傑作なのでは…というか、いままでと登ってる山が違いすぎてほんと「異形」の作品。いやもちろん、培ってきた蓄積のうえに新たなチャレンジを積み上げているわけですが。

脚本は山田尚子監督と長年タッグを組み続けている吉田玲子が担当しているんですけど、さまざまな説明が思い切って削ぎ落とされていて、これ監督の力量への深い信頼がないとこの脚本は預けられないだろうなあと思って、そういうところにもいたく感動しました。