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ねざめ堂

アニメ・映画・音楽

『Dolls ドールズ』感想:人が向きあうことの困難さ

北野武 映画

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 北野武監督『Dolls ドールズ』(2002年)の感想です。

 じつはこれ、長年「北野監督のなかではイマイチだな〜」という印象をもっていた映画だったんですが、先日の深夜テレビでやっていたので久々に観てみたら、思いのほか良くてびっくり。よくいわれることではあるけれど、作品の受けとり方って本当にトシとともに変わるものですね。

 本文中はネタバレありです。

 

◯相手のことが見えないカップルたち

 映画の冒頭に映し出される人形浄瑠璃の舞台。人形遣いに操られる人形と、それを見つめる人間の観客たち。

 しかし、いつしか人形遣いの姿が消えて、人形はひとりでに動きだします。やがて「見る・見られる」の関係が転倒し、人形たちの視線のもとで、人間たちによる物語が繰り広げられていく…という導入部。
                   ◯

 その導入部に続いて、本編には3組のカップルが登場し、3つの物語が語られていきます。

①「つながり乞食」の物語
②老ヤクザと昔の恋人の物語
③アイドルと追っかけの物語

 このうち、①が映画の最初から最後までを貫く縦糸になっており、②と③がそれと平行して語られるという構成なのですが、この3つの物語は共通したシチュエーションを描いています。それは、

求める相手がすぐ隣にいるのに、その人のことが見えない(認識できない)

 というシチュエーションです。

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『3月のライオン』(アニメ版)感想:「競争」と「共同体」のバランスゲーム

3月のライオン シャフト 響け!ユーフォニアム 京都アニメーション アニメ

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 NHK総合で毎週土曜日に放映中のアニメ『3月のライオン』(公式サイト)。

 じつは私はまだ羽海野チカの原作を読んでいないのですが(『ハチミツとクローバー』は大好きだったので、こちらもそのうちまとめ読みしたい)、数々の賞を受賞し大ヒット、今春には実写映画2部作の公開も控えるなど、とても注目度の高いタイトルですね。

 アニメ版は全22話予定で、先日放映された第12話からすでに後半戦に突入していますが、この記事は昨年末まで放映された前半分・第1話~第11話までについての感想です。ネタバレがありますのでご注意ください。

 

◯三月町(暖かな共同体の世界)と六月町(孤独な競争の世界)

 物語の主人公・桐山零が暮らす「六月町」と、ヒロイン・川本三姉妹の住む「三月町」。

 零が、橋でつながったふたつの町(世界)を行き来することで『3月のライオン』のストーリーは動いていきます。「六月町」は、冷え冷えとした孤独感が漂うモノクロームの世界。いっぽう「三月町」は、暖かく賑やかでカラフルな世界。

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 このふたつの町が、それぞれ「人と人との繋がりのある世界」と「孤独な勝負の世界」を表している…というのは、これは見たままですよね。

・三月町=(広義の)共同体の世界
・六月町= 勝負・競争の孤独な世界

という対照関係。

 

◯家庭への競争原理の介入

 零は幼いころに交通事故で家族を亡くし、父の友人で、プロ棋士である幸田の家に内弟子としてひきとられました。やがて将棋の才能を開花させた零は、幸田からの愛情を幸田の実子よりも受けるようになり、しだいに家庭はギクシャクしていく。

 やがてそのギクシャクした雰囲気と「自分が幸田家を壊した」という罪悪感に耐えられなくなった零は中学卒業後に独立、六月町で一人暮らしをはじめた…と、ここまでがアニメ第1話開始前までの『3月のライオン』のプレ・ストーリーでした。

 零が将棋をはじめたそもそものきっかけは、生前の実父が趣味でやっていた将棋の相手をつとめたい、という気持ちから。

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「将棋は苦手だったけれど、忙しい父と一緒に過ごせる大事な時間だったから、一生懸命がんばってた」(第5話)

 零が将棋をはじめた動機の根っこには「父親と繋がりたい」という欲求があったんですね。人と人とを繋げる、コミュニケーションツールとしての将棋。これは、二海堂が川本姉妹に将棋を教える幸福なシーンでも表現されていました。

 そして内弟子に入った幸田家でも、零は将棋の腕前によって養父からの愛情をうけることになるんですが、でもそのことが、幸田家に軋轢をひき起してしまいます。

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「養父は将棋を愛していた。良くも悪くも、全てが将棋中心だった。だから彼を愛するものは、強くなるしかなかった。彼の視界に入り続けるために」(第5話)

 血の繋がりの有無に関係なく、もっとも将棋が強くなった子供に愛情が注がれ、それ以外の子供たちには関心が向けられなくなる…という、父親からの愛情をめぐるゼロサムゲーム

 これは、家族という「共同体」にネオリベ的価値観、「勝ち負けが全て」という競争原理が介入してきた状態です。

 「全てが将棋中心」な幸田の関心が、将棋の才能を開花させた零に向けられた結果として、実子たちへの関心が薄くなっていることは、子供達へのクリスマスプレゼントのチョイスにも露骨にあらわれていました。

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 そして零は、将棋の「勝負」に勝って養父の関心と愛情を勝ち取ることによって、逆に幸田家という「共同体」から自らを追放せざるを得ないというポイントまで追いつめられてしまう。その結果彼がたどり着いたのが、六月町の、あの冷え冷えとしたマンションの一室でした。

 そもそも零は「人との繋がり」を求めて将棋をはじめたのに、自分が将棋の勝負(競争)に勝つ事が、人と人との繋がり(共同体)を破壊してしまい、自らも孤独に落ちていく。『3月のライオン』の根底にあるのは、このような「競争と共同体の相克」というテーマです。

 人が「個」として自らの勝利や進歩を追求すること(それ自体はもちろん良いことです)と、そうした「個」の集まりとしての「共同体」(これもまた、人間の生存には必要不可欠)とがなかなか相容れない…という難しさ。

 この作中の二大要素…「競争」と「共同体」をそれぞれ代表しているのが、六月町と三月町です。

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『ゴーン・ガール』感想  ~「外面」が勝利する世界

デヴィッド・フィンチャー 映画

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 デヴィッド・フィンチャー監督『ゴーン・ガール』(2014年)の感想です。この映画については、公開当時に記事を書いたんですけど↓

軟着陸は可能か? ~『ゴーン・ガール』感想

 今回の文章は、そのときボツにしたバージョンです(さいきん文書フォルダを整理していて発掘)。いくら趣味でやってるブログとはいえそんなもん載せるなよな、という感じもするんですけど、読み返してみたらこっちのバージョンも捨て難い気がしてきたので。

 前回の記事が作品全体を網羅しようとジタバタしているのにたいして、こちらはテーマを一つに絞ってできるだけスッキリ書こうとがんばってる感じです。ネタバレがありますのでご了承ください。

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